第六話

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第六話

(あずま) 凛縁(リンエン)』。  祈禱師(きとうし)の名家・東の一族の令嬢。  百年に一度の天才と言われる才能を持っている女性だ。 「悔しいが、その偶然に感謝する!」 「何の因果の喧嘩か分からないけど。あの着物の少女……カムイ。あなたひとりでは厄介なのではなくて?」 「悔しいが図星だ……正直、油断したよ」 「結界の中にいる女性は? 後輩?」 「そうだ。霊の目当てはボクの後輩のノリ子だ」 『がぁあああッ!』 小春から少女のモノとは考えられないうめき声が発せられた。 「早く、成仏させてあげないと可哀想。カムイ、できる?」 「やるさ……! 遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)!」  カムイは苦しむ小春に近づき、両手を合わせ、再び真言を唱え始めた。  小春のうめき声は徐々に小さくなり、子守唄でも聴いてるかのように表情が穏やかになっていく。  成仏に向かっているためか実体化していた身体は透き通るように霞み。巻き付いていた数珠はスッと地面に落ちた。  小春は完全に消える前にノリ子に手を伸ばした。  ノリ子も思わず、手を伸ばしてしまった。 「ノリ子! まだ……!」  ノリ子の指と小春の指がわずかに触れかけた瞬間、小春の霊体は消滅した。  そして静寂。戦いの行方をため息を漏らすようなリンエンの声が告げた。 「……勝ったか? ……にがしたか? どちらにしても、今はこれまで……ね」   訝しげに呟くと、リンエンと名乗った美貌の女祈祷師は路上に座り込んだまま肩で息をしている旧知の巫女……カムイに質した。 「あー。今、詳しく経緯を訊くタイミングじゃなさそうね。それに、偶然とはいえ、この件。わたしも緒牙舟(ちょきぶね)(へり)に足をかけちゃったようだし。ちがう?」  その訊きなれた気障な声に消耗したカムイは素直に頷くしかなかった。 「……すまない。ボクのせいだ。ノリ子を怖い目に合わせてしまった。まさか、小春が『巫女の霊』だとは思っていなかったんだ」  カムイの声が聴こえた。  ノリ子は気が付くと自分の部屋のベッドで眠っていた。  ふらふらと起き上がり顔を洗おうとしたら、テーブル前にふたりの女が座っていた。  ひとりはカムイだ。  もうひとりの人物をノリ子は知らなかった。 「初めまして、(あずま) 凛縁(リンエン)です」  リンエンは立ち上がるとノリ子に手を差し伸べた。  寝起きのノリ子はわけもわからず、その手を取り、会釈をした。 「戸部ノリ子です……」  その様子をテーブルに頬杖をついたカムイがつまらなそうに眺めていた。 「ノリ子、顔洗って来な。あと寝ぐせ付いてる」 「あ、そうだ。そうだった……」  ノリ子は顔を洗い、歯を磨き、髪を梳かしてから違和感に気が付いた。 「なんで! 私の部屋にカムイさんと……えっと……」 「リンエン。東凛縁です」 「あ。すみません。……リンエンさんもいるんですか!」  カムイとリンエンは顔を見合わせ、うーんと唸った。  リンエンは頭を掻き、カムイは癖の額をトントンと叩いた。 「まあ、端的に語ると、小春を成仏させた後、ノリ子は腰を抜かして、その場にへたり込んで、なんとかリンエンとふたり立ち上がらせて、部屋まで運んだってところかな」 「無理もない。霊に狙われたんだもの。体力も消耗するわよ」 「ノリ子は泥酔したみたいに千鳥足で本当に大変だった……」 「その、すみません……」 「ノリ子さんが謝ることはないのよ。今回のことは自分のチカラを過信したカムイのミスだから」  リンエンは一見ニコニコと笑っているように見えるが目は笑わず、カムイを睨みつけているようだ。  カムイはノリ子に向き合うと床に手をついて頭を下げた。 「か、カムイさん!?」  土下座だ。 「すまない。ボクのせいだ。ノリ子を怖い目に合わせてしまった。まさか、小春が『巫女の霊』だとは思っていなかったんだ」  ノリ子はある言葉に引っかかった。 「巫女の霊……?」 「小春は傀儡子が行う、音楽に合わせて人形を躍らせるということをやったんだ」 「それが巫女となんの関係が……?」 「操り人形は巫女が祓いの道具として用いたことに始まったと言われているのよ。ノリ子さん?」 『傀儡子』 巫女が宗教的な祓魔の道具として人形を用いたことによる始まる。 この風習は各地で行われ、京阪、淡路島、徳島で盛んに行われた。 『恵比寿回し』もこの類である。 人形遣いが民家を廻り、人形を躍らせ、その代償に金銭をもらっていた。 傀儡師と呼ばれる人形遣いが楽器の音に合わせ人形を躍らせた。 娯楽の少ない農村、山間部では歓迎を受けた。 「小春が巫女だなんて……そんな記憶、私にはない……」 「ノリ子さんと離れてから、巫女になった可能性が充分にあるわね。私はまだ、深く事情はわからないけど、ある程度はカムイから聞いたよ」  リンエンは切れ長の目を細目、ノリ子に言葉をかけた。  カムイと似た雰囲気を持っているが、リンエンの方が大人びた印象をノリ子は感じた。 「これから付き合っていくかもしれないからリンエンのことを紹介しておく」  ノリ子はカムイとリンエンの顔を交互に見た。 「彼女は祈禱師(きとうし)だ」 「きとうし……?」 「妖怪をメインに祈祷をしている」  リンエンは真面目な顔で言った。 「よ、妖怪ですか……?」  祈祷師という聞きなれない言葉に妖怪という馴染みはあるが、実際に触れたことないモノの名前が出てきてノリ子の頭はこんがらがった。 「リンエン、いきなり非現実的な名称を出すな」 「じゃあ、『お化け』……か?」 「お化け……? あ、お化けの専門家……」  カムイが言っていたお化けの専門家とはリンエンのことだったのだ。 「ちょっと違うけど、代々『(あずま)』の家は異形のモノを相手に祈祷を行ってきた」 『祈祷』とは祈りのことである。神に対する願いを実現化するための儀式のひとつである。 占い、お祓い、霊、神との交信などである。  巫女の別名とも言える。 「東家(あずまけ)は祈祷師という名で、それらを行ってきた。そして、代々、異形のモノを静めてきた」 「それで妖怪退治なんですね」 「カムイから話を聞いたとき、妖怪の存在を感じたわ」 「妖怪って……ひょっとして小春が妖怪……?」 「関係がないわけではないけど別のモノ……かな」 「別のモノ……」 「ノリ子、確か『いつまでも』という言葉を聞いていたな」 「はい、聞いてます。まさか、妖怪の鳴き声……とか?」  カムイはゆっくりと頷いた。  それを合図にしたかのように、リンエンはスケッチブックを取り出し、マジックで文字を書き出した。 『広有射怪鳥事』  スケッチブックに書かれた漢字はひとつひとつ読めるモノだったが、読み方はわからないモノだった。 「ふたりは『広有射怪鳥事(ひろありけちょうをいること)』という言葉を知っている?」  リンエンから聞きなれない言葉を聞き、ノリ子はただ首を横に振ることしかできなかった。 『広有射怪鳥事(ひろありけちょうをいること)』 1334年、疫病が流行し、死者が多く出た頃、毎晩のように怪鳥が現れ、「いつまでも、いつまでも」と「いつまで放っておくのだ」という意味で鳴き、人々を恐れさせた。 『源頼政(みなもとのよりまさ)』の『(ぬえ)』退治にちなみ、弓の名人に怪鳥退治を依頼することとなった。 怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばし、ノコギリのような歯、足の爪は鋭かったという。羽を広げた大きさは約5メートルはあったと残っている。 その中で依頼を受けたのが『真弓広有(まゆみひろあり)』が『鏑矢(かぶらや)』と呼ばれる木や鹿などの角でカブの根のようなモノを数個の穴を付けて作る。そのため、放ったときに風を切る音がするらしい。 広有はその矢で怪鳥を見事に射止めたという。 怪鳥に名前は無かったが(のち)に『鳥山石燕(とりやませきえん)』が逸話を元に『似津真天(いつまで)』と名付けた。 「現代語訳すると「広有の弓が怪鳥を射た件……つまり《ひろありけちょうをいること》とになるわけね。使った矢じりは高い音を発する鏑矢のようだけれど、ある種の霊体は特定の高音パルスに弱いという怪鳥の弱点を知っていたのかもね。そう考えると真弓弘有は武技を身に着けたマジックアーチャーだったのかもしれないわ」  リンエンの分かりやすい解説が終わるとノリ子もカムイも自然と拍手をしていた。 「な、なんとか理解できました!」 「やっぱり妖怪に関してはボクより、リンエンの方が専門家だな」  カムイはニコニコしながらリンエンの頭を撫でた。  リンエンは照れからなのか、カムイの手を払いのけた。 「似津真天(いつまで)は怪鳥でもあるけど、死者の魂の具現化とも言われているのよ」 「死者の魂の具現化……あれ?」 「ノリ子? 何か気になることでもあるのか?」 「似津真天(いつまで)って怪鳥なんですよね? 私が金縛りにあったとき、鳥なんて見てませんよ」 「あ、そうだ。追加で説明をするとね」  妖怪は時代に合わせて姿、名前が変わっていくことがある。  リンエンは似津真天(いつまで)と呼んでいるが書物によっては『いつまでん』と書かれていることもある。  似津真天(いつまで)は『いつまで放って置くつもりだ』という意味合いであったが、死者が伝えたい思いを言葉にしようとしている場合もある。 「ノリ子さんの部屋にあるモノで媒介にしやすいモノは……?」 「CDデッキだろうな」  三人はノリ子の部屋に置かれているCDデッキに視線を移した。 「つまり、小春が何かを伝えようとしてCDデッキを利用したってことですか?」 「そういうことです」  リンエンは一息つくと、正座していた足を崩した。 「あのカムイさんもリンエンさんもありがとうございます……。あのこんなことを今さら聞くのも変だと思うんですが……」  ノリ子はためらいながら言った。 「小春は亡くなっているんですか?」  カムイとリンエンはノリ子の言葉に動揺はしなかった。  ふたりは真っ直ぐとノリ子の顔を見つめた。 「やっぱり、そうですよね。心の中で生霊みたいなやつで、どこかで生きている小春がいて、私に会いたいとか思ってくれてるんじゃないかって……」  ノリ子は涙が抑えられなかった。  手で拭っても拭っても涙は溢れ続けた。 「何でだろう……。幽霊になってから出会うまで思い出しもしなかったのに……どうして、こんなに悲しいんだろ……」  部屋にはノリ子のすすり泣く声だけが響き続けた。  ノリ子の涙が止まるまで一時間はかかっただろう。  泣き続けたノリ子は涙を吹き、鼻を噛みを繰り返していたので、ゴミ箱はティッシュで山を作っていた。 「うぅ……ごめんなさい……」  ノリ子が泣き続けている間、リンエンは買い出しに、カムイはノリ子の側に居続けた。  目の周りを泣き腫らしたノリ子は感じた。  巫女であるカムイと祈祷師であるリンエンはどれだけの『死』を見てきたのだろうと。  いや、カムイとリンエンだけではない。  生きている以上、常に死と隣合わせなのだ。  ノリ子は小春の死という目を決して背けられない事実を受け入れなければいけない現実に耐えなければ前に進めない。  子どもの頃、一度だけ親戚のおじさんの死を目の当たりにしたことがあった。  ノリ子にはその一度だけの経験しかなかったのだ。  幼過ぎた、面識が非常に少なかったという理由で死というものが、ずっと先のことのように思えていた。 「ほら、ノリ子、えーと、お茶だ。リンエンが買ってきたやつだ」 「ありがとうございます……えっと、お金を……」 「気にするな。リンエンは人におごるのが好きなんだ」 「別に好きではない。時と場合による」  リンエンはトイレから出てくるとカムイの発言を否定した。 「すまないが(かわや)を使わせてもらったわ」 「リンエンは頻尿なんだ。ノリ子、許してくれ」  カムイからスパン!と気持ちがいいほどの音がなった。 「今までのツケを払わす?」  リンエンがカムイの頭を見えない速さで叩いた音だった。 「ふぅ……私はさすがに帰るけど、カムイはノリ子さんをしっかり守っておきなさい。というか守れ」  語句が急に強くなり、ノリ子はビクリと肩が動いた。 「…………」  リンエンの言葉にカムイは何も返事ができなかった。 「守る」と言っておきながら、ノリ子を危険に晒してしまったからだ。 「カムイ」  俯いてしまっているカムイにリンエンは言葉を投げかける。 「私より才能を持ち合わせた霊能者が、一度の失敗で自信を無くすということは許可しないからね」 「自信を無くしているわけではないよ。ただ、その自信に溺れてしまった気がしただけなんだ」 「それも自信を無くしたというんじゃないの?」  リンエンは淡い赤色をしたハンドバッグを手にし、小声で「よいしょ」と呟くと立ち上がった。  そして、お手本のような姿勢の良さで歩き、玄関へと向かった。 「それでは私は帰るよ。全く、まさか散歩からの朝帰りになるとはね」  カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。 「カムイさん……」 「なんだ?」 「私はカムイさんに守ってもらいましたよ」 「……すまない」  カムイはノリ子の手を握ると涙を流した。 「謝らないでください、泣かないでください……」  ノリ子はカムイの涙を指先で拭った。 (失敗したわけではないのに、こんなに、深く謝るのは、やはり霊と生身の人間の思いと命を背負っているからだろうか)  カムイの涙の感情は悲しみなのか自分に対しての怒りからなのか。 それだけではない、もっと別の、言葉で表現するのが(はばか)られるようなモノなのだろうか。  ノリ子は自分が理解しようとするのもおこがましいと思えたので、それ以上、カムイの感情について考えるのをやめた。
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