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作品名:性純
零が台車いっぱいに花を詰め込んで部屋に戻って来た。
「お待たせしまし…」
零は思わず、動きを止めてしまった。
真っ白な部屋の端の方で、真っ白なスキニーパンツ、真っ白なシャツを纏った克伊が静かに天井に備え付けられたカメラをぼんやり眺めている。
その立ち姿が余りにも穢れを知らない純真無垢な、まるで天使のように見えた。
加えて、彼の細身の体躯と整った顔立ち。
まさに今回のコンセプトにバッチリ当てはまっている。
零は何かを確信した。
「似合ってますね!」
「いえいえ。普段白色で細身のパンツは履かないので、新鮮な感じです」
そう言って、克伊は笑みを見せる。
零はその度に心がざわつく感覚に陥る。
初めてあの花屋で泰雅の笑顔を見た時の、心の奥底から湧き上がる気持ちに似ていた。
「それにしても、新崎さん。凄い量の花ですね」
「ええ。今回は気合を入れて準備しましたので」
「さっきと全然気迫が違いますね…」
零の目つきが鋭くなっているので、思わず克伊は一歩足を引いてしまった。
「それじゃあ、撮影を始めて行きましょうか。限られた時間ですし」
「そうですね。インターバルは少なめで行きましょう」
二人はそれぞれがすべき事を理解した上で、テキパキと動いていく。
最初の数十枚は、先程のカタログ撮影のように克伊に花を持たせ、表情を作って貰い、カメラに収めて行く工程を進めて行く。
但し、彼の表情は先程とは違ってとても妖艶であった。
そして、時々、少年のような純粋さも演じて行く。
~~~~~
【作品を楽しみにして下さっているお客様の多くは女性です。克伊さんには彼女達の心を揺り動かすような表情と所作で臨んで頂きたいです】
メールでの事前打ち合わせにおいて、そんな事を話していた。
【難しいオーダーですね。わかりました。頑張ってやってみます】
~~~~~
克伊はファインダーの向こうにいるであろう、沢山のゼロのファンに想いを馳せながら撮影をこなして行く。
だが、時間が経つに連れ、二人は心の奥底から湧き上がるものがない事に違和感を抱き始める。
「あの、ちょっと良いですか」
零がふと声をかける。
「自分もちょうど声をかけようかと思ってました」
二人は歩み寄り、撮り溜めた写真を眺める。
「もっと、訴えかけるような感じが欲しいですよね」
「確かに。少し型にハマり過ぎていましたかね。ビジネス感が滲んでしまっていました」
「僕がお仕事メールを打ったので…」
「そんな。気にしないで下さい。何事もトライ&エラーですよ」
そう言って克伊は、元の位置に戻る。
「続けましょう。新崎さん」
「ええ。よろしくお願いします」
それから克伊が見せる表情は妖艶さを残しながらも、より自然体になっていく。
一人の男が見せる一瞬の煌めきに、心が震えるあの感覚がじんわりと込み上げてくるようになった。
「良いですね。気持ちが伝わってきます」
「自分も、何か湧いてくる感じがします」
二人はそれぞれ手ごたえを感じ始める。
「よしっ。そろそろメインに行きましょう!」
零はすぐさま部屋の中央(カメラの真下)に駆けて行くと、何やら白い布をバサリと剥ぎ取ったのだ。
そこにはグリーンの布が敷かれ、まるで写真のフレームのように長方形型に花が飾られていたのだ。
突然のギミックが発動し、克伊は驚いた。
「全然気が付きませんでした。隠してあったんですね」
「今回の僕の自信作です。克伊さんはこの中に入って寝転がったまま、天井のカメラを見て下さい」
「なるほど。僕が写真の中に入るような感じですね。わかりました」
言われるがまま、克伊はそこに足を踏み入れ、身体を横たえた。
「アングルどうですか?」
「大丈夫です。そのまま色々と表情をお願いします」
ファインダーから覗く光景は、余りにも非日常で、とても眩しく見えた。
フレームを彩った花々のサブタイトルを【天使の休息】としていたので、それが目の前で具現化されていくと思うと、零の心は弾んでいく。
「克伊さん、良いですよ。次は、シャツのボタンを外して貰えますか?」
「わ、わかりました…」
零の口から自然とそのようなセリフが出て来た。
克伊は少し気恥しそうにゆっくりと言われるがままボタンを外して行く。
はだけたシャツから、彼の美しい肉体が見えるようになった。
「メインですからね。本気でお願いします!」
零もどんどんテンションが上がって来ている。
そして、その瞬間は訪れる。
シャッターを切った瞬間、零の全身が痺れる感覚に襲われたのだ。
克伊の艶めかしい表情、彼のシャツの合間から見える裸体、そして天を掴もうと伸ばす大きな手。
それらが一体となり、全てを惹き込む魔力を宿した作品へと昇華したのだ。
零は動きを止めない。
すぐさま手持ちのカメラを掴んで、克伊の元へ駆けて行く。
無言のまま、彼を横方向から撮影していく。
そんな克伊もすぐに零に合わせるように、体勢を変える。
横向きのアングルも実に素晴らしい。
身体の向きが変わり、シャツが床に張り付くようになったせいか、先程までは見る事の出来なかった彼の右胸が露わになり、より大胆な構図となった。
目を閉じ、少し高揚したような克伊の表情は、無垢な天使を犯してしまった罪悪感を抱かせる程の威力があった。
それと同時に、零は泰雅の上気したあの表情を思い出していた。
あの圧倒的な美に、少し似たような光景が今、再現されようとしていると思うと、鳥肌が立つ。
ファインダーから覗く零の視線とそれを見つめる克伊の視線。
無言でただ目が合っているだけなのに、心臓の鼓動が早まる。
撮影と言う作業ではあるが、このひと時、二人は繋がったように思えた。
零はフレームの近くに無造作においてあった霧吹きを手に取ると、克伊に向けて何度も噴霧する。
突然の事に克伊は戸惑いの表情を見せたが、零の頷きに、全てを察したようだった。
濡れた花々、上気した顔に滴る液体、彼の裸体が透けて見えるシャツ。
一気に天使を快楽の渦へと落とした構図は、余りにも猥雑だった。
すると、テンションが上がって来た克伊はそのままシャツを脱ぎ、遠くへ投げ捨てたではないか。
もっと撮れよと誘うような目に、零は思わず喉を鳴らしてしまった。
天井からのアングルと彼の近くからのアングルを、零は漏れなく何度も収めて行く。
克伊の妖艶な表情に、無駄のない全てが露わになった身体。
カメラを通して、二人は逢瀬を重ねている感覚に陥った。
時間の流れが極端に遅くなった感じに包まれ、この時がいつまでも続いて欲しいと思ってしまった。
「…さん? …ざきさん?」
零はハッとして、意識を取り戻す。
「大丈夫ですか?」
心配そうな表情を見せる克伊が零にそう呼びかけた。
彼は上裸のままだった。本当に彼は美しい。
だけど。
「新崎さん、どうして泣いているんですか?」
克伊に言われて、零はすぐに自分の目元に触れる。
涙が指に触れ、弾けた。自分ですら気が付いていなかった。
「わかりません。余りにも、作品作りが楽し過ぎたので、感情がコントロール出来ていないのかも」
零はすぐさま服の袖で涙を拭う。
その姿を見た克伊は笑みを見せる。
「新崎さんには大切なヒトが居るんですね」
「えっ?」
「なんとなくですけど。そんな気がしました♪」
そう言って彼は、雑に置いてある自分のカバンがある所まで歩み寄った。
「予定通り、約二時間。ちょうど良い時間ですね」
スマホで時間を確認した克伊は零にそう言った。
「遅い時間までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。お陰で、今までにない最高の作品と出会う事が出来ました」
「俺も。ファインダーの向こう側が見えた気がしました。俳優と言う仕事がもっと好きになれそうです」
二人はそのままがっちりと握手を交わした。
「着替えたらそのまま帰りますね」
「駅まで送って行きますけど」
「大丈夫です。走って行ける距離ですし、濡れた髪も丁度乾くと思うので」
「克伊さん…」
少し寂しそうな表情を見せる零の前で、克伊は私服へと着替えて行く。
「あ、そう言えば。一つ、お伝えするのを忘れていました」
「はい?」
「俺、鏑木克伊って言います。名前で呼ばれて居たので、一応苗字もお伝えしておこうかなと」
そう言って彼はご丁寧に、零に名刺を差し出した。
「そうだったんですね。それは失礼しました」
「いえいえ。でも、名前で呼ばれるのが久し振りだったので、なんだか嬉しいです」
そう言いながら、彼は少年のような純粋な笑顔を見せた。
その表情が泰雅と重なってしまったのか、零は危うく彼を抱き締めてしまいそうになった。
それからすぐ、二人は店の裏手に出る。
克伊を見送る為に。
「さ、作品が仕上がったら、またご連絡します」
零は少ししどろもどろな口調でそう言った。
「はい。凄く楽しみにしてます。えっと、駅は…こっちでしたっけ?」
「突き当たりを右に曲がって、一つ目の交差点を左に曲がればあとは真っ直ぐです」
「わかりました。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました」
克伊は深々と一礼をする。
「こちらこそ。帰り、お気を付けて」
そう言って、零は彼の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
そして辺りに静寂が訪れると、その場に一人、蹲ってしまうのだった。
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