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キミに触れて
零は慌ただしく玄関のドアを開け、自分の部屋に逃げ込んだ。
ベッドにうつ伏せのまま身体を投げ出す。
呼吸が上手く出来ない。
さっき、自分は一体何を考えた?
克伊の事を、どんな目で見た?
そして、何を想像した?
そんな言葉が何度も脳裏に浮かび、彼の心を縛り上げて行く。
「僕は…」
泰雅以外の人を抱く事も抱かれる事もしないと鉄の意思で決めたはずなのに、それが揺らぎそうになった事実に、零は酷く怖くなった。
勝手に両目の奥が熱くなっていく。
まるで自分が穢れたように思えた。
近くに投げ捨ててある大きめのクッションを強く抱き寄せた。
心の中で、愛するヒトの名を叫びながら。
しばらく静寂が辺りを包み込んだ。
だが、彼の想いはじわじわと変化していく。
何故か、自然と呼吸が整っていく。
「だけど、それだけ僕の目指す美しいモノに近づけたと言う事か…」
彼の口元が緩む。
そして、しまいには声を上げて笑い始めていた。
「マジで最高だった。途轍もなく、良い作品に仕上がる。今まで見た事無い次元へ行けるはずだ」
そう言いながら、彼は体制を変え、天井に向けて手を伸ばした。
ひんやりとした空気が、彼の手に触れた。
そして何を思ったのか、零は無言のまま、自分の部屋を飛び出して行った。
花屋の奥にある真っ白な彼の秘密の部屋。
先程まで、賑やかに撮影会をしていたが、今はガランとしている。
そして、その中央には、沢山の花で彩られた大きなフレームが置かれたままだった。
険しい表情のまま零が部屋に足を踏み入れる。
そのまま、中央の花々のフレームの中に身を横たえる。
「…」
何も言わず、天井に向けて克伊と同じように手を伸ばしてみる。
だが、先程とは違ってひんやりとした感触はなかった。
少し嬉しくなった。
そんな時である。
突然、零の手に何か温かいモノが触れた気がしたのだ。
「ッ!?」
それは間違いなく、彼の体温だった。
今は遠くに居る泰雅の熱を、何故だか感じられるのだ。
まるで時空のトンネルが開いたかのように。
今すぐ、彼を抱き締める事が出来るかも知れないと、錯覚するほどに。
「泰雅…。ちゃんとそこに居るんだな」
零はボソリとそう呟くと、ようやく安堵の表情を浮かべる事が出来た。
克伊もあの時、もしかしたら、何かを感じたのかも知れない。
美しい花達が見せた一瞬の奇跡。
そう思わずには居られない。
「本当にありがとう。やっぱり僕は、花が大好きだ」
彼らが居たおかげで、零は泰雅と出逢う事が出来たし、念願の花屋も営めている。
そして家弓を始め、沢山の繋がりも出来た。
その中心にはいつも花たちが居た。
誰にでも優しく寄り添い、無上の愛を与える。
それが尊く、どこまでも美しいのだ。
零は感謝の気持ちを抱きながら、花々のフレームの中で再び天井に向かって手を伸ばす。
此処には居ない、大切なヒトの体温を感じる為に。
彼が自然と眠りに落ちるその時まで、手を伸ばし続けた。
花たちはそんな彼をまるで慈愛に満ちた表情で見つめる様に、花弁を揺らしていた。
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