作品名:天使の目に映るもの

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作品名:天使の目に映るもの

「ありがとうございました!」 零は笑顔を浮かべながら、大きな花束を持った客を見送る。 そのまま彼は表情をガラリと変え、休憩室に置いてあるノートPCを起動させる。 (仕事用のPCは沈黙を守っていた) 先日、克伊と臨んだ撮影会で撮り溜めた写真に、淡々と編集を施す。 愛用のペンタブレットを駆使し、短時間で、且つ、最高傑作へと昇華させていくのだ。 この瞬間が堪らなく好きだ。 綺麗な真珠をより美しく磨き上げるような工程は感動すら覚える。 特に今回は今までとは一味違う。 克伊の瑞々しい写真をよりブラッシュアップしていくのは時間を忘れてしまう程の没入感があった。 ハッとして視線を上げると、あっと言う間に一時間が経過していた。 「やべッ!」 零はすぐさま両頬を叩いて、自らに気合を入れてから休憩室を飛び出して行く。 花々の手入れを疎かにしては、彼らに怒られてしまう。 仕事の合間にやるものじゃないな。 そんな事を心の中で思いながら。 克伊との濃密な撮影会から約一か月後。 零は都心のとあるカフェで珈琲を嗜みながら、静かに誰かを待っていた。 雲一つない晴天。 窓から見える視界の先にはとんでもない人の波が蠢いていた。 すると、 「遅くなりました、新崎さん」 声がする方を振り返ってみると、そこには私服姿の克伊が居たのだ。 だんだんと芸能人特有の人を惹きつける雰囲気が滲むようになっている。 帽子も被らず、その整った顔を晒している。 少し心配になるくらいだ。 「すみません、克伊さん。お忙しい中、呼び出してしまって」 「いえいえ。作品が出来上がったって言われたら、そりゃあ、すぐ飛んで行きますよ♪」 「ハハハ。そう言って頂けると嬉しいです」 克伊が席に腰掛けると、すぐに店員がやって来る。 「ご注文はいかが致しましょうか?」 学生さんと思える女性が丁寧な所作で尋ねる。 「えっと。それじゃあ、ホットコーヒーでお願い出来ますか?」 克伊のその一言と表情だけで、目の前の空間が温かくなったように見えた。 零はその瞬間を見逃さなかった。 「は、はい! 畏まりました!」 少し照れた様子で女性は早足で厨房へと消えて行った。 「それで、新崎さん。完成した作品と言うのは?」 克伊は少し前のめりになって、零に問い掛ける。 彼のキラキラ輝く瞳は、あまりにも眩し過ぎる。 「それじゃあ、まずは通常のフォトタイプから」 零は小脇に抱えたカバンから現像した写真を一枚ずつ克伊の前に置いていく。 ファミレスのボックス席のような間取りなので、背後からは見られにくいが、真横からは丸見えであった。 念のため、克伊がその写真を見終えた頃を見計らい、零は次の写真を置いていくようにした。 「コレ、特に加工はしていないんですね」 「はい。自然体のまま、人物と花が生き生きしている様子を表現したいので」 「うん。凄く良いです。家弓さんのカタログとは違った切り口ですし」 「妖艶さ、ではこちらの方が数倍溢れ出てますからね」 「流石は希代のアーティスト、ゼロ、ですね」 「まだまだ、これはご挨拶のようなもの。今回、克伊さんに見せたかったのは、あのフレームを使って撮影したものです」 「確かに、ありましたね! 綺麗な花で彩られていて、凄く印象に残ってます」 そんな話をしていると、先程の女性が戻って来た。 「お待たせ致しました、ホットコーヒーになります」 彼女の声に、克伊はすぐさま写真をその手にそっと収め、珈琲を置くスペースを作った。 「ありがとうございます」 克伊は静かにそう呟いた。 なんて出来た人なのだろう。 零は彼の所作を見る度にそう思わざるを得なかった。 「ごゆっくりどうぞ」 どことなく、彼女の声も弾んでいるように思えた。 「新崎さん。その作品、拝見させて貰って良いですか!」 少し大きめの克伊の声が零の耳に飛び込んで来た。 「勿論です。ただ、今回はA4サイズに縮小したものでお持ちしました。実際はもっと大きくて、持ち運びが出来ないので」 「そんな巨大な作品なのですか?」 「ええ。あのフレームと同じ大きさを予定してます」 そう言いながら、零はファイルにしまっていた作品を克伊に差し出した。 「そうなんです…ね…」 その作品を見た途端、克伊は動きを止めてしまった。 まるで時が止まったように、彼は呼吸すらせず、じっと手に取ったフォトグラフを眺めている。 そこには大きな手を天に向け、穢れのない真っ白な服を纏い、憂いを帯びた目でこちらを見つめる男が居た。 そんな彼は透き通る程の鏡のような水面に寝そべり、服の合間から見える凛々しい肉体を晒しながら、美しい花々に優しく抱かれるように囲まれていた。 まるで天空のオアシスで休息を取る無垢な天使のように。 そしてこれからの未来が何処までも青空のように輝いていると信じて。 数分もの間、克伊は黙って作品から目を逸らさず、見つめ続けていた。 その姿を零は、固唾を飲んで見守っていた。 克伊の息を吸う音が聞こえた。 「まるで自分じゃないみたいだ。これがゼロの作品、なんですね」 克伊は何故かその目に涙を浮かべながら、視線を零に向けた。 「克伊さん…」 「ごめんなさい。なんか、良く分からないんですけど、自然と涙が…」 その反応が零は途轍もなく嬉しかった。 アーティストとして作品が誰かの心を動かした時、それは作家冥利に尽きるものだ。 「グリーンバックの部分に、背景を組み込んでます。一気に幻想的になりますよね?」 「…」 克伊は零の説明を静かに聴いていた。 だが、視線はずっと作品に釘付けであった。 「一応、まだ別カットの作品もありますけど?」 「はい。でも、今日はこれだけで十分です。破壊力があり過ぎました」 「そうですか。ホント、克伊さんは素敵な人ですね」 「えっ?」 零の的を射ない言葉に、克伊はキョトンとしてしまった。 「実は、また個展を開く予定があって、その際に、今回の作品をメインで出そうと思っています。もし良かったら、来て頂けませんか?」 「は、はいっ! 勿論、喜んで!」 「ただ、僕は個展が始まったら、現場には行きません。それがゼロのスタンスなので。作品の邪魔をしたくない」 「それじゃあ、新崎さんと会えないじゃないですか!」 「なので、克伊さんには特別に個展の開催前、つまり、準備段階の時にお呼びしようかと思ってます」 「それって、滅茶苦茶レアですね」 克伊は少し落ち着きを取り戻してから、静かに言葉を続ける。 「是非とも、よろしくお願いします」 「ええ。今回の主役は、花たちと貴方ですからね」 「ッ!」 零の真っ直ぐな言葉に、克伊は心が掴まれたような気持ちを抱いた。 「新崎さん、貴方の作品に参加出来た事、誇りに思います」 「こちらこそ。克伊さんがゼロと言うアーティストをさらに飛躍させてくれた。感謝しかありません」 二人は互いに労いの言葉をかけると、少し冷めたコーヒーを同時に口にするのだった。
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