作品名:感じたままに思い描いて

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作品名:感じたままに思い描いて

都心から少し離れた、簡素な住宅街を抜けた所に、木々に囲まれた年季の入った建物がある。 あちらこちらに太い草木の蔓が巻き付き、より厳かな雰囲気を醸し出している。 この場所こそ、今回のアーティストゼロの個展会場となる。 いよいよ明日のオープンに向け、零は最後の仕上げに取り掛かっていた。 「よお、新崎。調子はどうだい?」 日野は彼の肩を何度も叩きながらそう言った。 「順調だよ。それにしても、良くこの場所を見つけたな」 「味があって良い場所だよな。だけど来月、老朽化に伴い、取り壊すらしいんだよ」 彼は視線を天井に向けながら話をしている。 天井にも美しい絵画のようなデザインが施されている。 「そうなんだね。凄く勿体ないね」 「時代の変化って奴さ。建物もアップデートされていくんだよ」 「僕は、あんまりその風潮は好きじゃないけどね」 零はそう言いながらも、花の飾りつけの作業の手を止めない。 「今回はここのオーナーから直々のオファーを頂いたからね。思いっきりやって良いってよ」 「そうか。なら、全身全霊で頑張ってみるよ」 「それじゃあ、明日のオープン、楽しみにしてるから」 「あれ。もう行くのか?」 「俺は忙しいんだよ。次の現場があるんでね。じゃあな、倒れないように頑張れよ」 日野はそう言って颯爽と去って行った。 「ホント。相変わらず忙しい奴だな」 零は少し笑みを見せながら、彼の背中を見送るのだった。 今回の個展は二階建ての洋館で行われる。 通路や部屋のあちこちに、彼の渾身の作品が並べられている。 全てが官能的で刺激的な作品たちだ。 零の並々ならぬ気合が感じられる。 午前中から作業を続けているが、なんとか今日の夕方までには形になりそうだ。 先が見えた所で、ひと息つくために、零は洋館の外へと足を向ける。 木漏れ日の下で、煙草に火を付ける。 知らない土地で、且つ、緑の中での一服は格別なものだ。 しかも仕事は休みだし、自分のやりたい事に没頭出来る瞬間は、何物にも代えがたい。 本当に生きていて良かったと再認識する。 そんな時である。 建物の入口に人影が見えた。 こちらの顔を見ると【本日は閉店しました】と書かれた札を無視し、こちらに駆けて来る。 「新崎さん! 来ちゃいました!」 笑顔を見せながらそう言ったのは、今回の作品の主役に躍り出た鏑木克伊である。 帽子姿もなかなか似合っている。 ここまで恐らく走って来たのだろう。 顔全体が程よく汗ばんでいる。 だが、それすらも彼の俳優としての素質なのか、美しく映って見えた。 「遠路はるばる、悪かったね。まさか来てくれるなんて思ってなかった」 「明日から撮影がありますけど、今日は外せないですって。貴重なゼロさんの個展を独り占めで鑑賞出来るのですから」 「随分、持ち上げてくれるね。まだ、途中で申し訳ないけど、中にどうぞ」 零はそう言って、煙草を携帯灰皿に収めると、そのまま彼を建物内に案内するのだった。 エントランスの真正面。 今回、客が初めに見る作品は、以前克伊に見せたあのフレームを使った作品、 【天使の目に映るもの】であった。 A4サイズとは比べ物にならないくらい実物は大きい。 高さは約2メートル超だ。 今までのゼロとは違い、性の生々しさは微塵もなく、寧ろ清々しさを感じる作品となっていた。 自分であるのに自分でない。 克伊は作品の自分と目が合うと、何故か心がざわつくように思えた。 「生で見ると、迫力が違いますね」 克伊は口数が少なくなっていた。 作品の世界に没入しているのだろう。 フレームの周りに彩られた花々から放たれる甘美な香りが、それをより助長させる。 「ありがとう。今回の目玉の一つだからね。最初にインパクトを与えたかった」 零はそう言うと、克伊が作品の観賞を終えるまで、声を発する事を止めるのだった。 「凄いですね。あ、すみません。時間取っちゃって」 「全然。寧ろ、凄く嬉しい。それじゃあ、次の目玉作品の場所まで移動しようか」 もう一つの目玉は洋館の二階の、最奥の部屋に飾られているらしい。 そこに至るまでにも、ゼロの官能的で刺激的、剥き出しの性が表現された作品が並んでいる。 克伊は少し戸惑い、目を背けながらも、作品と向き合う。 同性だから分かる。 あの快楽の瞬間が、どうしても頭をよぎるのだ。 そして、いよいよ、最奥の部屋の扉が開く。 部屋に入った真正面に、あのフレームで出来た作品が掲げられていた。 克伊はすぐに動きを止めてしまった。 通路以外の床一面に、花々が所狭しと散りばめられているのだ。 先程までとは様子が一変している。 そして、視線は自然と作品へ向けられる。 青年の露わになった裸体の上に舞い散る花びら。 その背後は真っ白な雲ではなく、何処となくグレーに近い色をしている。 泣いて居るような、笑って居るような、それでいて高揚しているような、一言では形容し難い表情。 だが、作品の中の彼は、何かから解放され喜びを知ったような雰囲気を醸し出している。 彼に寄り添っていた花々は全て散り、地上へ降り注いでしまった場面。 もう彼は、一人でも強く生きて行ける。 そんな一瞬を切り取り、部屋全体を使って零は表現をしたのだ。 「どう、ですかね」 零は恐る恐る、克伊の顔を見てみる。 彼は口を半開きにしたまま、作品を食い入るように見つめていた。 克伊が次の言葉を発するまで、零は再び無言を貫く。 どれくらいの時間が経ったか分からない。 克伊の口からようやく言葉が放たれる。 「ヒトって、変われるんですね」 心の底から生み出した言葉を紡ぐように、彼は声を発した。 「はい。何処までも、その人が望むままに」 克伊の言葉に零は、落ち着いた口調でそう答える。 「そうですね…」 何かを噛み締める様に、克伊はその一言を口にした。 零はふと彼の表情を見てみる。 その目は透き通ったまま潤んでいた。 (感動して貰えたかな) 零はそんな事を思いながら、再び視線を作品へ向ける。 すると、 「新崎さん…」 ふいに名を呼ばれたので、再度克伊の方へ振り向く。 その瞬間であった。 克伊の柔らかな唇が零の口元に触れたのだ。 小さな声でごめんなさいと言いながら。 思わぬ事に零は目を見開いてしまった。 部屋全体の花々が何故だか大きく揺れたように思えた。
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