秘密の花園

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秘密の花園

部屋の扉が開いたことで、新たな空気が舞い込む。 それは花々を撫で、二人の身体に触れ、作品を包み込む。 何処か怪しく、官能的だったあの雰囲気がパッと消えてしまったように思えた。 全力で性と向き合った二人の身体は未だ高揚している。 だが、頭は驚く程冷静になっていた。 零は無言のまま、開いてしまった扉を閉める。 「零さん…」 克伊はゆっくりと上体を起こす。 表情は何処か引きつっていた。 「大丈夫だよ。この事は、僕達だけの秘密さ」 「…はい」 零の言葉を聞いた克伊は、顔を隠しながらも、口元には笑みを浮かべていた。 そのまま再び身体を床に倒す。 「今、とても清々しい気分です。こんな気持ち、初めてだ」 「僕も。知らない世界に身を委ねていた感覚だった。最高だったよ」 そう言いながら、零は立ち上がると、ようやく遠くに置いてあったタオルを掴むことが出来た。 その瞬間、零はフッと笑ってしまった。 「はい、これ。使って下さい」 零は倒れたままの克伊の身体の上にタオルを置く。 「あ、ありがとうございます」 二人はお互い全裸のままである事を忘れるくらい、普通に会話をしていた。 あちらこちらを汚したままで。 それから二人はそそくさと服を纏い、改めてあの作品の前に並んだ。 「ホント。不思議な力が宿った感じですね」 「自分も驚いてます。きっと、新しい次元へ踏み出せたのだと、実感出来ました」 「俺も。何だか、やる気と言うか全身から気合が満ち溢れる感じがします」 「そう言えば、明日から撮影でしたっけ?」 「はい。インディーズの映画なんですけど、初めて、結構なセリフのある役に挑戦出来るんです」 「映画!? 凄いじゃないですか」 「いえ。まだまだですよ。だけど、一歩ずつ確実に前に進んでいる。それは間違いない」 そう言いながら、克伊は視線を作品の中の自分へ向ける。 「俺。零さんの作品の一部になれて良かったです」 克伊はキラキラした目で、零の顔を見つめた。 本当に今の彼は美しいと思えた。 「僕も。克伊さんと出逢えて、自分の作品と向き合えた気がします」 零もそう言って、克伊の透き通った目を見つめる。 「あの、零さん…」 克伊は少し心細い声を出す。 「最後に、もう一度。零さんと、キス…しても、いいですか」 「えっ…と」 その言葉を聞いた零は、すぐ脳裏に泰雅の顔が浮かんだ。 だが、克伊の真剣な眼差しと表情に、零は息を呑んでしまった。 「分かってます。零さんには、大切なヒトが居る事は。だけど、今、この瞬間だけ、零さんの熱を感じて居たい。忘れたくない、優しい熱を」 彼の言葉を聞いた時、零は彼の背後で床に広がる色とりどりの花々の中に、黄色のとある花が目に入った。 その花だけが何故かぼんやりと光を放っているように見えた。 それは黄色のミモザであった。 零は心臓を掴まれた気持ちに襲われた。 と、同時にミモザの花言葉がはっきりと頭の中に浮かび上がる。 (秘密の、恋…) 零にとってそれは、危険な道に足を踏み入れる事を意味しているように思えた。 だが、この空間が彼のその思いを簡単に打ち砕く。 身体も心も、危ない橋へ自ら突き進んでしまう。 零は無言のまま、克伊の顎をクイッと上げる。 「このひと時だけ、僕は貴方と…」 そう小さく呟くと、二人はゆっくりと唇を重ねた。 全てが溶けていく感覚。 互いの体温が伝わり、心の奥底から喜びに似た感情が湧き上がる。 ずっとこの時間が続けば良いのに。 二人は同じ時間、同じ空間、同じ熱を感じ合う。 それを見届けるように、部屋の扉がゆっくりと閉じて行った。 まるで二人を秘密の世界に閉じ込めるように。 それから一か月後。 「鏑木克伊さん、本日クランクアップです!」 克伊はスタッフや共演者に囲まれ、拍手に包まれていた。 「皆さん、ありがとうございます!」 清々しい表情で深く一礼をする。 すると、 「鏑木さん、本当にお疲れ様でした」 彼女役として共演した女優が花束を持ってやって来た。 それは目を奪われる程、美しく輝く黄色で統一された花々だった。 「凄く、綺麗ですね」 「ホント。私もこんな素敵な花束、初めてみましたよ。鏑木さんのイメージにピッタリですね」 花束からは芳醇な香りが放たれ、克伊の鼻腔を刺激する。 その瞬間、彼の脳裏にあのひと時の光景が浮かんだ。 身体が憶えている。 あの時、あの場所で嗅いだ匂いだ。 「この花束はどちらの?」 「それが、匿名で今日の朝、届いたらしいの。 さんへ にって」 「匿名?」 「そうなのよ。別に嫌がらせじゃなければ、普通に送れば良いのにね」 「そうですね…」 克伊はそう言って静かに目を閉じた。 あの時感じた熱が、唇に戻って来たように思えた。 克伊は大きく息を吸って、周りのスタッフに挨拶をする。 「今回の映画は、皆で頑張った素晴らしい作品です。また、皆さんと一緒に作品が作れるようこれからも頑張ります。本当にありがとうございました!」 力強いスピーチに、彼は再び大きな拍手に包まれた。 克伊は花束を持ったまま、青空の元へ出る。 無言のまま、澄み渡る空を眺めた。 「零さん。俺、今回の撮影。最後まで駆け抜ける事、出来ましたよ」 克伊はそうボソリと呟き、少しだけ寂しそうな顔を浮かべつつ、立ち込める花々の香りに身を委ねるのだった。
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