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人脈とお酒と時々…
零はお洒落な服装に着替え、家を出て行った。
今日は定休日。
仕事も創作活動もしない、彼にとって本当のオフの日である。
と言っても、これから会う人達は仕事に密接に関わりのある人達なのだが。
「遅くなりました」
零は味のある店の暖簾をくぐる。
「お、やっと来た。遅いよ、零! もう始めちゃってるよ」
男性の一際耳に響く大きな声が聴こえて来た。
広々としたテーブル席に、男女それぞれ二名ずつ。
ここは零の店から少し離れた所にある、古民家を改装した居酒屋だ。
「ごめんなさい、家弓さん。皆さんも」
零はすぐに上着を脱ぎながら通された席に座った。
「せっかくの休みに引っ張り出したこっちが悪いからな、ハハハ!」
家弓は楽しそうに零の肩を強めに叩きながらそう言って見せた。
「ホント。いつも楽しそうですよね」
「こういう時くらい楽しまないと。人生勿体ねぇからな」
零は彼の言葉にフッと笑って見せた。
(ああ。本当にこういう歳の重ね方をしたいな)
家弓は花の卸売を営む、言わば、零の店の仕入先様だった。
縁あって、今ではこうして食事の場に呼んでくれる程、可愛がって貰っている。
50代と言うが、そのバイタリティは衰えを知らず、豪快な性格も相まって、大人の色気を漂わせる危険な男に見える。
その他の人達は皆、彼の会社の従業員。
お酒が大好きで、しかもタダ酒が呑めると聞きつけやって来たらしい。
すでに、テーブルの上には幾つもの空のジョッキが並んでいる。
「新崎さんは、何、呑まれます?」
入社してまだ数か月と言う伊藤と言う青年が零に尋ねて来た。
「あ。えっと、まずはビールで」
そんな中、女性二人は何やら楽しそうに零を見つめていた。
すると、
「いつ見ても、凄い綺麗な顔だわ」
「うちの会社には絶対居ないわよね」
零は何度か彼女達と話をしたことがあるので、いつもの事かと聞き流している。
「社長。うちにももっと美形を入れて下さいよ!」
「おいおい。ココに居るだろ、新人が」
「伊藤ちゃんは駄目。可愛いけど、若すぎるもん!」
「ほぼ息子みたいなものだし、ねぇ」
そう言って彼女達は楽しげにお酒を飲み干した。
「キミたち、旦那に怒られるよ?」
「怒られる前に私の方が怒り返すわ」
「アハハ。そうそう!」
家弓の言葉にも彼女達は屈せず、寧ろ、家庭のパワーバランスの側面を伺い知れて、思わず零は笑ってしまった。
零の前にもビールがやって来た。
ついでに、他のメンバーの前にもお酒が用意された。
簡単に乾杯を済ませると、再び話に戻った。
「お二人はいつもパワフルですよね」
「当たり前よ。子育てして、家事をして、仕事をして、こうやって皆でご飯を食べて。いつも全力よ!」
「社長の言葉を借りると、人生勿体ねぇって奴かしら」
家弓や彼女達の姿を見ているだけで、元気が湧いてくる。
自分も同じように店に立つ時は、お客さんを元気にしたいと考えている。
彼らは零にとって、目指すべき存在なのだ。
「…そっか。そうですよね」
零は何を思ったのか、そう呟くと、ビールのジョッキを一気飲みしてみせた。
「流石、今日も良い呑みっぷり!」
女性達の拍手を尻目に、伊藤は驚いていた。
「新崎さん、お酒強いんですね…」
「まぁ、強いと言うか。鍛えられたと言うか…」
零はそう言って、チラリと横目で家弓を見やる。
「俺があちこち連れ回したからな。意外と零は、漢気あるんだぞ?」
「意外と、は余計ですよ」
そう言うと零は、店員を呼び、ワインを下さいと言った。
すると、家弓は途端に真顔に戻った。
「この業界で戦い抜いていくには、人脈と目利きの力は欠かせないからな。零にはそれを教えてやろうと思ったんだよ。今ではうちの良いお取引相手になっているし。ハハハ」
だが、すぐに真顔は解け、先程の豪快な表情へと戻ってしまった。
「真面目な話をするかと思ったら、コレですからね。ホント、掴めない人ですよ」
零はそう言いながら、サーブされたワイングラスを手に取り、その輝く液体を眺めている。
「それにしても、零って、浮いた話、全く聴かないよな」
話のベクトルが急旋回した。
家弓の言葉に、零は動きを止める。
「確かに。私だったらすぐお付き合いしたいわぁ」
「同感!」
主婦達の強い言葉に、零は いやいや、僕はそこまでじゃないですよ と、小さく呟いた。
「ただ、浮いた話はないですけど…」
零のその言葉に、その場に居た四人は動きを止めた。
「ずっと好きな人は居ますよ。今は、少し遠い所に居ますけどね」
少し寂しそうな顔をしながら、彼はワインを飲み干した。
一瞬で場の雰囲気が静まり返る程、零の表情は何処までも美しく、そして冷たさを見せていた。
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