202人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
繋がる想い。離れぬ心
ここはとある研究室。
少し薄暗い部屋で、一人、ホワイトボードにびっしり書かれた文字とにらめっこをしている人物が居た。
「これも違うか」
あーもうと言いながら、英語で書かれた文字を全て消して行く。
すると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「今日も遅くまで仕事かい? タイ」
ドアと同じくらい背が高い屈強な男性がそう語り掛けて来た。
「やあ、ケヴィン。勿論さ。俺は仕事が大好きだからね」
お互い流暢な英語で会話を楽しむ。
このタイと呼ばれる男こそ、山岸泰雅、本人である。
彼は今、米国の植物園の研究室で働いている。
渡米してからもうすぐ5年が経つ。
ここで彼は新種の花の開発に命を燃やしていた。
「本当、自分は真似できないよ」
笑いながらケヴィンは持っていたハイネケンのビール瓶をラッパ飲みする。
仕事が終わった後のフリータイムなので、何でもありらしい。
「相変わらず豪快だね。清々しいよ」
「僕はのんびり仕事をしたい派だからね。勿論、結果は求めるよ?」
「それが一番効率的で良いと思う」
「それよりも。タイ、これから一杯どう?」
ケヴィンは、そう言って泰雅の肩を強めに叩く。
「そこまで言われちゃ断れないか。よしっ、今日は付き合うよ」
「そう言うところ、タイの素敵な所だよ」
「まぁね。俺の知り合いにもお酒が好きな奴が居るんで」
「へぇー。今度そのお友達、紹介してよ」
「機会があれば、良いよ」
そう言って、彼は手早くデスクの上を整理し始めた。
「俺、片付けしてから向かうからさ。場所、メールしておいてくれる?」
「OK。それじゃあ、また後で」
ケヴィンはビールを飲み干し、颯爽と部屋を後にして行った。
泰雅は大きく息を吐き、フラフラと立ち上がって、研究室の窓を開けた。
少し肌寒い風が入り込んでくる。
彼はポケットから煙草を取り出し、ZIPPOのライターで火を付ける。
仕事の疲れが少し和らぐ気がした。
ふと、ぼんやりと視線を夜空へ向けると、美しい月が瞬いていた。
月は同じはずなのに、今、見つめている月は日本に居た時とは違うものに見えた。
「零。元気にしてるかな」
泰雅はボソッとそう呟く。
そして、彼は零に米国へ行く事を告げたあの日を何故か思い出す。
花屋を開店して約半年後。
あの大きな部屋で、二人揃って夕飯を食べている時のこと。
「零。あのさ、少し話があるんだけど、良い?」
「んっ?」
「俺、花の研究をやりたいと思ってるんだ」
「研究?」
「そう。誰も見た事のない、最高に美しい花を開発したいんだ」
「へぇー。凄く、素敵だなって思うよ。泰雅らしいなって」
零はニコッと笑ってそう答えた。
だが、その笑顔が泰雅の心を締め付ける。
「だけどさ、ちょっと問題があって…」
そう言って、泰雅はスッとテーブルを滑らせるように、一枚の名刺を差し出す。
それは、全て英語で書かれていた。
「誘われたのは、アメリカの研究機関なんだ」
零は動きを止め、差し出された名刺の文字をじっと見つめる。
そして、少し表情を曇らせながらも、スッと息を吸って言葉を紡ぐ。
「泰雅が決めたことなら、僕はその思いを尊重したい」
「零…」
「だって、最後は此処に帰って来るって信じているし。そうだろ?」
その言葉を聞いた泰雅はガタンと椅子から立ち上がり、零を背中から抱き締めた。
「ちょっと、泰雅?」
「零の言葉を聞いて、凄く安心した。絶対に俺、成し遂げるから」
「ああ。お前なら出来るよ」
零はそう言いながら、泰雅の頬を優しく撫でる。
「ホント、俺。零と一緒に居られて幸せだよ」
泰雅の言葉に、零も 僕も とだけ静かに呟く。
いつまでも二人の手は繋がったままだった。
煙草の灰が、窓の縁に置いてある灰皿に落ちた。
「零…。早く俺は、お前の為に」
泰雅は煙草を灰皿に置くと、窓を閉め、研究室を見つめる。
ああ、そうだ。
自分は成すべき事があるんだ。
一秒でも早く、結果を残し、彼の胸に飛び込みたくなった。
すぐに彼はスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。
【タイ? どうかした?】
「ごめん、ケヴィン。今、アイデアが思い付いたんだ。また、誘って貰えるかな」
静かにそう言って電話を切る。
泰雅は眼鏡を掛け直し、もう一度自分のデスクにあるPCと向き合った。
「待ってて、零。俺は必ず、あの店に相応しい、最高の作品を生み出して見せるから」
最初のコメントを投稿しよう!