彩りの表現者

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彩りの表現者

清々しい朝。 仕事を始める前に、零は店の前の掃き掃除を行う。 すでに近くの店では営業をしている所もあり、目が合ったりすると、皆、気さくに挨拶をしてくれる。 ようやく、この地域の一員として認められたのかなと思えた。 それも全てはお客様あってのこと。 そんな事を考えながら、零は店の外観を見つめる。 (自分は絶対にこのを守り抜くんだ) 今は遠くで頑張っている彼の為にも、零はこうして気合を入れる。 店の入口横にある木製の立札をCloseからOpenにクルリと変えた。 「さあ。今日も一日、お客様を笑顔に出来るように頑張って行こう!」 誰も居ない店内に零の快活な声が響いた。 零の一日はとにかく忙しい。 何せ一人で全てをこなす必要があるからだ。 接客は勿論、予約注文の花束作り、在庫管理と発注手配、さらには各種支払い業務等多岐に渡る。 ただ、仕入面については全幅の信頼を置く家弓の協力と目利きにより、安定、且つ、上質な商品が入荷する。 彼が居なければ城の崩壊は免れないだろう。 だが、そんな爆速で駆け抜ける日々の中でも、お客様の温かい言葉や街の人達との交流が零の仕事に対するモチベーションを高めていた。 勿論、それは彼のもう一つの顔である、アーティスト「ゼロ」としての活動にも潤いを与えている。 辺りが寝静まった頃、花屋の奥の部屋では実験的で崇高な作品作りが繰り広げられていた。 ただ、今回はいつもと様子が違っていた。 「よしっ。今度はこのポーズで撮ってみましょうか」 モデルとなる男女に零は的確に指示を与える。 「やっぱり、零に頼んで正解だった。忙しい時に悪かったね」 家弓は何度も頷きながらそう言った。 「いえ。写真は僕の趣味でもありますし、普段の感謝も兼ねて」 「ホント。お前は律儀だよ。だからこそ、可愛げがあって俺は好きだがね」 「家弓さんにそう言われてもあんまり嬉しくないですけど」 「ハハハ。確かにな」 そう言いながら、家弓は強めに零の肩を叩いた。 「あっ、ちょっと! 画角がブレるからやめて下さい!」 今回、家弓の会社のカタログ作成の依頼を受けた。 一番、花達が綺麗に見える瞬間をカメラに収め、多くの人にその美しさを知ってもらう一助になるならと快諾した。 花の種類の数だけ写真が必要との事で、今回はかなりの長期戦となりそうだった。 「それにしても、家弓さん。彼らとは何処でお知り合いに?」 零はふと、そんな事を問い掛けてみた。 「ああ。彼らは所謂俳優の卵。大手プロダクションの新人達さ。俺の飲み仲間にその社長が居てね。今回紹介して貰ったのさ」 「相変わらず、顔が広いですね…」 だからあの二人は整った顔つきをしているのか。 男性の名は克伊(かい)。女性の名は(かおる)と言うらしい。 目下売り出し中の次世代のスーパースターになりうる二人。 カメラに見せる仕草、表情、全てが瑞々しくて、零が具体的な指示をせずとも、ポーズを取ってくれた。 「人脈は裏切らないからね。お前も良く憶えておけよ?」 「勉強になります」 そんな話をしながらも、零は粛々と仕事をこなして行く。 色とりどりの花達を美しく写真に収めて行く作業はとても楽しかった。 花達も何処となく嬉しそうに見えた。 それから時間は流れ、用意しておいた花々、全てを撮り終える事が出来た。 「約2時間。流石、零は仕事が早いね。俺はてっきり日付が変わるかと思っていたよ」 「いいえ。お二人が余りにもお上手だったので。やはり、俳優さんは違いますね」 零の言葉に、モデルの男女は照れくさそうに小さくありがとうございますとだけ呟いた。 「また別日に第二回目の撮影をお願いしたい。それでカタログの写真は出揃うからね」 「わかりました。日程はまた追って教えて下さい。空けておきますので」 家弓の言葉に、零はハキハキと応えて見せた。 「帰りも遅いし、俺が彼らを送って行く。荷物をまとめたら出発しよう」 家弓はそう言って一足先に、部屋を後にした。 「新崎さん、本日はお疲れ様でした」 「素敵な花に囲まれて楽しかったです」 克伊と薫はニコニコしながらそう言った。 「僕も、お二人と時間を共に出来て嬉しかったです。第二回目も楽しみにしております」 「それじゃあ、帰りの支度に入りますね」 「はい。あ、薫さん。着替える際は、店の休憩室をお使い下さい。ちょっと散らかってますけど」 「お心遣い、すみません。では、お言葉に甘えて使わせて貰います」 薫は一礼をすると、素早く手荷物をまとめ、休憩室へと向かって行った。 部屋には帰り支度をする克伊と後片付けをする零だけとなった。 「それにしても、新崎さん。カメラの扱い、お上手ですね。趣味の範疇を超えていましたよ?」 「えっ?」 「シャッターを切る時に迷いがなかったし、本当に花が好きなんだなって思いが伝わって来たので」 克伊はそう言いながら、上着を脱いだ。 彼の裸体は眩しいくらい美しかった。 無駄のない身体は、彼の努力の賜物なのだろう。 零の中で何かが生まれる感覚が湧き上がって来た。 思わず彼の喉が鳴った。 すぐに私服に袖を通した克伊は、そのまま零の後片づけを時間が許す限り手伝ってくれた。 「あの。克伊さん、次回の撮影の際にお願いがあるのですが」 「お願い、ですか?」 二人がそんな事を話していると、 「おーい。克伊、そろそろ行くぞ! 薫ちゃん、車で待ってるぞ?」 部屋の入口から家弓の元気な声が聴こえた。 「はい。今、行きます!」 克伊は慌てて、荷物を背負う。 すると、零は彼の手に一枚の名刺を差し出す。 「新崎さん?」 「お手すきの時に、名刺のメルアドに一報頂けたらと思います」 「わ、わかりました」 それから零は家弓達を見送る。 「今日はお疲れ様、零。また日程が決まり次第、連絡するから」 「わかりました」 後部座席に乗り込んだ二人も窓を開けて、挨拶を交わす。 「それではまた」 薫の言葉に、克伊は静かに名刺を零に見せ、一度ゆっくりと頷いて見せた。 零もまたそれに応えた。 誰も居なくなったあの部屋。 零はその部屋の奥にある、普段なかなか足を踏み入れない、特別な部屋へと向かう。 そこは数々の研究道具が揃った、云わば分析室のような部屋である。 元々は泰雅の研究(ヲタク)部屋であった。 分析機材がズラリと並ぶ中に、鉄製の花瓶が置かれていた。 そこには紫色に怪しく輝く花束が生けられていた。 零は無言のまま、その花を手に取り、匂いを嗜む。 頭が痺れるような、心が洗われるような不思議な香りに零は包まれる。 「泰雅が開発し、生み出した新種の花。名を媚目秀零(びもくしゅうれい)」 決して誰にも見せない、二人だけの秘密の花。 「ヒトの本性を剥き出しにする、魔性の徒花…か」 急に気障な言葉をボソリと呟いた零は、しばらくの間、その花々を静かに愛でるのであった。
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