薔薇色美肌の彼女

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ゆっくりと目を開き、スマホの時刻を見ると目覚ましアラームが鳴る5分前だった。2月も終わりに近付き、寒さのピークは過ぎたとは言え、冬場は布団から出るのが億劫になるのは誰しも同じだろう。面倒くさいなぁと感じながら上体を起こし、スマホを掴んで立ち上がる。 今日もマンネリな1日が始まった。 36歳独身で彼女無し。そこまでモテない理由は無い見た目だと思うのだが、友人(いわ)く、空気を読まない発言がダメらしい。付き合いの長い友達同士なら問題の無い発言も、初対面……特に女性にはキツいものがあるとの事だ。少し前までは、「お前は黙っていればモテるよ」と言われた事もあったが、年齢を重ね、髪の毛も薄くなり、黙っていてモテる程の容姿では無くなってきた。175センチの身長に黒淵眼鏡で細身。最近、薄毛をごまかす為に丸刈りにした為、先輩達からジョイマンに似てきたなと言われ出した。ジョイマンと言うのは、意味不明なラップで笑いを取るお笑いコンビ。一発屋芸人扱いで、最近テレビに出ていない為、俺はギリギリ分かる世代だが、若い子は知らない人の方が多いと思う。先輩達は時折、「よっ、ジョイマン!」と声を掛けてくるが、俺は軽く会釈をして照れ笑いを返すだけだ。ジョイマンのギャグである、「行きなり出てきてごめーん、まことにすみまめーん!」とか言えば喜んでくれるのだろうが、そこまでサービス精神旺盛ではない。 俺はカーテンを開け、太陽の光を浴びながら大きく深呼吸する。朝の太陽光はセロトニンという幸せホルモンを分泌させ、深呼吸は、気持ちを切り替え、頭をスッキリさせる効果があるそうだ。この深呼吸の吐き出す息と共に、日々のマンネリも吐き出されていると思い込むようにしている。 その後、キッチンに向かい、冷蔵庫を開け、トマトジュースを取り出し、コップに注ぐ。真っ赤な液体の中にオリゴ糖を少し垂らし、ニンマリする。朝夕の2回、この特製ドリンクを飲むのが唯一の楽しみと言っても過言ではない程、幸せな一時(ひととき)だ。健康オタクと言う訳でも無いのだが、一年程前、何かの番組でトマトのリコピンが万能薬とも言える程優れていると聞いてから、トマトジュースを毎日飲み始めた。体に良いと分かって飲むと、プラセボ効果なのか何なのかは分からないが、そこそこ美味しいと感じていた。 そんな中、同じような番組でオリゴ糖の効能を紹介していて、こちらも体に良いと勧めるので、試しにトマトジュースに少し入れて飲んだところ、何か違う世界の扉が開いたのかと錯覚する程、美味しい飲み物に一変したのだ。味が決まるというのはコレだ!と興奮したのを覚えている。この特製ドリンクのお陰で、会社でのストレスが格段に解消されている。 午前7時半、俺は黒の軽自動車に乗り込み、職場へ向かう。工場に勤めて(はや)11年。マシンオペレーターとしての仕事が主だ。長く勤めているものの、役職も無く、毎日の作業をこなす日々……。同じメンバーで同じ作業……。冬場は仕事が少なくなる傾向にあったのだが、今年は意外と忙しく、先日、他部署に2人派遣さんが入ったらしい。去年は、たまたま1人若い美女が入って来たのだが、大抵が高齢のおっちゃんかおばちゃんだ。ところが、今回も1人は30歳前後の女性のようだ。遠目から見たところ、特に美人という訳でも無さそうだが、小柄で可愛い感じの女性だ。特徴的なのは彼女の頬。俺の周りでは既に『林檎ちゃん』とアダ名がつけられている程、頬は真っ赤に膨れあがっている。良く言えば、子供のように可愛いし、悪く言えばバカっぽい。その容姿について、今までの人生で何度も突っ込まれてきたのではないだろうか。 午後5時過ぎ、普段と同じマンネリした仕事を終え下駄箱に向かう。すると、噂のその女性とバッタリ遭遇し、彼女は頭を軽く下げて「お疲れ様です」と挨拶してきた。俺は「あ、お疲れッス」と軽く返す。 初めて近くで顔を見た。思っていたよりも頬は赤く、艶々(つやつや)の美肌。先輩達は、普通以下の女だと吐き捨てていたが、俺はむしろ美人寄りじゃないかと感じていた。下駄箱まで同じ道なので、何か喋らないと、と思い話し掛ける。 「お仕事慣れましたか?」 「あ、はい。覚えるだけで精一杯なんですけど……」 彼女はニッコリ微笑みながらヘアキャップを取った。うちの会社は食品も扱うので、髪の毛混入防止の為、仕事中はヘアキャップをかぶるのだが、それを取った時、彼女の髪が凄く綺麗だったのでドキッとさせられた。彼女は俺に話し掛ける。 「こちらに勤められて長いんですか?」 「え~っと……11年目です」 「へ~ベテランさんなんですね」 俺は、彼女の真っ赤な頬と赤みがかった綺麗な髪に見とれ、ボーッとしてしまい、返事をするのを忘れていた。変な間が空いていると気付き、咄嗟に言葉を発する。 「髪の毛、綺麗ですね」 俺はパニクって思った事をそのまま伝えてしまった。ハッと我に返り、何かごまかさないとと考えた時、彼女が先に口を開いた。 「ありがとうございます。嬉しいです」 俺も全く女っ気が無かったという訳では無い。彼女が俺に好感を持った事ぐらいは分かる。いや、彼女の真っ赤な頬がそう感じさせただけなのかも知れない。 ガチャ 俺は通用口の扉を開けて彼女を待った。扉の外は、夕焼けが彼女の頬の様に、真っ赤に空を染めていた。 「ありがとうございます」 彼女は軽く頭を下げて礼を言った。ドアを開けてあげた程度の事で好感度が上がるとは思わないが、しない男よりはマシだろう。 彼女の真っ赤な頬と綺麗な髪を眺めながら、『告白』という2文字が頭を(よぎ)った。もちろん、今、好きです、とか、付き合ってください、とか言おうという訳ではない。次の機会に告白しても不自然じゃない距離感にしたいと思ったのだ。今、もう1ポイント好感度を上げて別れられたら完璧だと思い、意を決して話す。 「トマトみたいな頬っぺたですね」 俺は、彼女が笑いながら「よく言われるんです~!」とか、「変な事言わないでください~!」とか言って盛り上がると思っていたのだが、彼女の顔は、まるで急激に鮮度が落ちていくトマトかのように見る見る曇っていき、彼女は何も言わず、逃げるように小走りで自分の車に乗り込んだ。 俺はガックリと肩を落とし、「はぁ~」と溜め息をついた。失敗した……。俺にとって、トマトは崇拝する程完璧な存在で、褒め言葉として最適なのだが、彼女からすると野菜の1つに過ぎないし、真っ赤な頬は彼女にとって、コンプレックスだったのだろう。俺にはトマトの他に褒める喩えが浮かばなかった。一体、何て褒めるのがベストだったのだろう……。 明日会社に行きたくないなぁ、と憂鬱な気持ちで車を運転する。涙でうっすらと(ゆが)む視界の中、何とか事故は起こさず家に着く事が出来た。いつものように、トマトジュースにオリゴ糖を入れ、特製ドリンクを作って飲む。オリゴ糖の量が少なかったせいか、流した涙のせいなのか、いつもより少し酸っぱく感じた。それでも癒される程の美味しさで、先程の苦い記憶が薄められていくような感覚がした。今日も特製ドリンクがストレス解消役を担ってくれている。俺は、気持ちを切り替える為、大きく息を吸って「ふ~っ」と一気に吐き出した。 深呼吸は快適だ。 意欲が湧いてきた。 ありがとうオリゴ糖。 了
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