第1話「住む世界が違うって感じ」

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 建物に入ると、なんとなく上品な空気で満たされている気がした。二人はなんとなく背筋が伸び、なんとなくゆっくり動かなければならないような気がした。カバンを肩にかけ直すのにも、顔にかかった髪を払うのにも、歩くのにすらいちいち神経を使う。早くも牟児津は、息苦しさで音を上げる寸前だった。  「客席の受付は……あちら?」  「なにその喋り方」  「なんか上品にしないといけない気がして……」  「ムジツさんはそのままがいいんだから気負わなくていいんだよ」  「そ、そっか。って、うりゅもつま先歩きしてんじゃん」  「なんか足音立てちゃいけない気がして……」  「じゅうたんめっちゃフカフカだから普通に歩いても音しないよ」  「あ、そっかあ」  そんな調子で二人はなんとかエスカレーターに乗り、客席受付まで移動した。受付にチケットを見せると、そこでは改札せずそのまま4階席まで上がるよう案内された。  思い切って瓜生田が尋ねてみると、牟児津が持っているチケットは関係者用のものなので、関係者席へ案内するとのことだった。牟児津と瓜生田はぽかんとしたまま、上階行きのエスカレーターで運ばれていった。  「か、か、関係者席……?なんで……?」  「もともと生徒会長が持ってたものだし、そういうこともあるのかもよ」  「だったら言っといて欲しかった!っていうか関係者用のチケットを人に譲るやつがあるか!なに考えてんだあの人!?」  「上の人が考えることは分からないねえ」  劇場内は、階層がそのまま装飾のランクを示すように、階が上がるほど絢爛になっていった。上がるにつれて、壁や天井の飾り、手すりの素材、展示されている絵画、スタッフの服装など、あらゆるものが洗練されていく。もしこれが階段だったら、牟児津はあまりのハイソサエティオーラにやられて、途中で1階まで転げ落ちていただろう。  しかしエスカレーターは牟児津の意思とは無関係にその体を押し上げていく。上がれば上がるほど、牟児津は自分がここにいることが申し訳なくなってきた。  「う、う、うりゅぅ……。このじゅうたん、踏んでも大丈夫?怒られない?」  「売り物でもないのに踏んで怒られる絨毯なんてないよ」  エスカレーターを降りたそこは、吹き抜けのホールを取り囲む細い廊下と、建物の奥に続く廊下だけの小さな空間だった。無駄のない動きで巡回しているスタッフに瓜生田がチケットを見せると、関係者専用の受付まで丁寧に案内してくれた。  廊下を奥に進むと、劇場に続く大きな扉がある。その手前には小さな丸い部屋があり、柔らかそうなソファがいくつか並んでいた。部屋には受付があり、牟児津はそこでようやくお目当ての金平糖を手に入れることができた。  「帰る?」  「いやいやいや、それはさすがに失礼だって」  「だって関係者ってことは、私たちよりずっと……なんかこう、すごい人も来るんでしょ?そんな人たちと一緒に劇なんか観てらんないよ」  「おや!これはこれはお二人さん!こんなところで奇遇ですねえ!」  「はっ!?」  目的を果たしたことで気持ちが緩んだのか、牟児津は受付から先に進むことを躊躇っていた。そんな牟児津の背中に、こんなところで聞こえるはずのない声が、突然降りかかった。金属同士を打ち鳴らすようなカンカン声だ。まさかと思って振り向くと、そこにいたのは見慣れた少女だった。  「えっ?ま、益子(ますこ)さん?」  「まさか学園から離れたこんなところで出会うとは思ってもみませんでした!しかも関係者席でなんて!」  牟児津たちと同じ制服に身を包み、首には礼式用のネクタイを締め、普段被っているハンチング帽を取ってチョコレート色の髪を露わにしていた。牟児津の番記者こと、益子(ますこ) 実耶(みや)だ。受付でもらったであろう金平糖を、無造作に頬張ってはバリバリと噛み砕いている。  「な、な、なんであんたがここにいるんだ!」  「なんでってそりゃあ関係者用のチケットを持ってるからですよ。こう見えても私はハイソな人間なので」  「こんなに見え透いたウソでも堂々と話されるとちょっとそんな気がしてくるな」  「確実に寺屋成(じやなる)先輩の悪い影響を受けてるね」  「やだなあ、軽いジョークじゃないですか」  大いに驚く二人に対し、益子は見せびらかすようにチケットを揺らす。もちろんこのチケットは、益子が関係者として入手したものではない。  本来、今日この場所に来るはずだったのは、三人が通う伊之泉杜学園の生徒会長、副会長及び広報委員長の三名だった。しかし先の二名分のチケットは藤井が牟児津に譲ったため、牟児津と瓜生田が代わりにやって来た。  先に起きた事件の後処理のため、広報委員長である旗日(はたび) (よる)も都合が合わなくなり、チケットを手放すことになった。そのチケットは、旗日の友人であり新聞部部長の寺屋成(じやなる) 令穂(れいほ)へと渡り、最後に益子がそれをねだりにねだって、根負けした寺屋成から譲ってもらったのだった。  「藤井先輩のお詫びの品の中にチケットがありましたからね。今日ここに来ることは分かっていましたよ。だから実耶ちゃんの膨大な人脈と豊富な人望を使って同じチケットを手に入れたわけですよ。ま、番記者なら当然です」  「一歩間違えたらストーカーだぞ」  「何をおっしゃいますか!ムジツ先輩あるところに事件あり!事件あればムジツ先輩の活躍あり!って言うでしょう!」  「そんなこと言ってんのあんただけだよ!」  「二人ともお願いだからお行儀よくして。恥ずかしい」  場の雰囲気を全く意に介さずいつも通りのテンションで話す益子につられて、つい牟児津もいつも通りのテンションで応じてしまい、知らぬ内に声が大きくなってしまっていた。瓜生田に冷や水を浴びせられて我に返り、途端にしおしおと委縮した。対する益子は、それすらも笑って受け流し、食べきった金平糖の包みをくしゃくしゃに丸めてポケットに詰め込んだ。緊張感らしきものが全くない。  「ムジツ先輩は内弁慶ですねえ」  「気後れしてるだけだよ。いいからもう席に着こう」  「あ、私なんか、ト──お手洗いに行きたい」  「だから駅で済ませておいてって言ったのに。きっと混んでるよ」  「トイレならここ出て左ですよ。私はさっき行きましたけど、遊園地のアトラクションくらい並んでました」  「やっべ!行ってくる!」
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