第1話「住む世界が違うって感じ」

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第1話「住む世界が違うって感じ」

 牟児津(むじつ) 真白(ましろ) は圧倒されていた。いくつもの円柱と直線で構成された、シンプルかつスタイリッシュな建造物。そこに足を踏み入れることに畏れを感じてしまっていた。ここは、日常を過ごしている街とは格が違う。思わずそう感じてしまった。  牟児津は、電車を乗り継いで隣街までやって来ていた。複数の路線が入線するターミナル駅は、人の流れが複雑に入り組み、ビルは見上げれば首が痛くなるほど高くそびえている。駅前に出れば巨大なロータリーにいくつものバスがやって来ては出て行き、その度に大勢の人が駅の外と中を行き来する。  幼馴染みである瓜生田(うりゅうだ) 李下(りか)の案内がなければ、目的地にたどり付くこともできなかっただろう。人より視線が低い牟児津は、人混みが苦手だった。油断すれば、もまれ踏まれて全く意図しない場所まで運ばれていってしまう。今日も、瓜生田の手を離さないようついて行くのに精一杯で、ここまでの道順など全く覚えていなかった。  「でっけぇ〜……」  「うちの県で一番大きな劇場だからね。写真撮っとく?」  「撮っとこ撮っとこ」  出不精な牟児津にとって、隣街の劇場まで足を運ぶなど滅多にない経験だった。瓜生田に記念写真を撮ってもらった後、カバンからチケットを取り出して、何度も時間と場所に間違いがないことを確認した。  先日、学園中を巻き込む大騒動の中心にいた牟児津は、なんだかんだあって生徒会長である藤井(ふじい) 美博(みひろ)から、お詫びとしていくつかの品を贈られた。その中の1つに、この観劇チケットがあったのだ。ペアチケットだったこともあり、一人ではとても観に行けないと思い、瓜生田に頼み込んで一緒に来てもらったのだった。  「うりゅが来てくれてよかったよ。私ひとりだったら絶対ここまで来られなかった」  「うん。私も、まさかムジツさんから劇に誘われるなんて思わなかった。なんか嬉しかったよ」  「まあ……せっかくもらったチケットだし。こういうとこ初めてだけど、経験しといて損はないかなって」  建物の入口近くまで来ると、一点の曇りもないガラスの入口から中の様子が見える。派手過ぎず地味すぎないシャンデリアや、ショーケースに入った何らかの美術品。赤い絨毯の上には柔らかそうなソファや観葉植物が配置され、シックな漆塗りのカウンターの中で、身なりの良いスタッフがきびきびと働いている。ときどき中に入っていく賓客たちは小綺麗に着飾り、いかにも上流階級という雰囲気の人ばかりだった。牟児津は一張羅である制服を着てきたが、激しく見劣りしている気がしてならない。  「制服でよかったのかなあ」  「学生なんだから制服で十分だよ。でもリボンくらいは礼式用のにすればよかったね」  「そ、そうなの!?うち出るときに言ってよ!」  「てっきり持って来てるものだと思って」  「私がそんな用意できる人間か?」  「できないかあ。そうだよね。ごめんね」  そこで牟児津は初めて、瓜生田の胸元のリボンがいつものピンク色とは違うことに気付いた。途端に、自分がつけているレモンイエローのリボンが非常に場違いな、礼を欠いたものに思えてくるから不思議だ。  「別に式典ってわけじゃないし、うちの演劇部が主催だからいつもの制服で問題ないよ」  「え?これうちの部活が場所借りてやってんの?」  「そうだよ。ほら」  そう言って瓜生田が指さしたのは、正面の入口から少し離れた場所にある、植木で目隠しがされた辺りだ。おそらく備品などを移動するときに使う搬入口だろう。大きなトラックとその搬入口の間を、作業着を着た人々が忙しなく往復している。そこには、大きな花の飾りが見えた。垂れ幕に、『伊之泉杜学園演劇部 御中』と書いてある。  「本当だ」  「さすがに学園有数の大規模部活ともなると、これくらいのこともできるようになるんだね」  「すげ〜……なんか、全然住む世界が違うって感じ」  牟児津たちが眺めている間も、次々と荷物が劇場へと運び込まれていく。見れば牟児津たちとそう変わらない年の少女も働いているようだ。アルバイトだろうか。それにしては髪の色が明るい青リンゴのような色をしている。  「みどりちゃん!さっき別の現場の応援頼まれたから、昼休憩後回しにしてくれる!?ここの現場はまた別のチームに頼むから!」  「えええっ!?そ、そんな!困ります!いきなり言われても……!」  首の絞まった鶏のような、甲高くしゃがれた声で少女は叫んだ。  「ごめんな!もう受けちまったから!コンビニで何でも奢っちゃるから勘弁してね!」  「なんだか大変そうだね」  「同年代のああいう姿を見ると、なんかこう、ちょっと心がざわってなるんだよなあ」  「ちょっと分かる」  額に汗かいて働くその少女を遠巻きに眺めながら、牟児津と瓜生田はなんとなく手を合わせたい気持ちになった。日々の暮らしを支えてくれている人々の中に、同年代の同性がいるという事実が、とてもありがたいものに感じられた。  「それじゃあ、中に入ろっか。ムジツさん」  「うん……でもなんか、やっぱ不安だなあ。怒られたりしない?」  「大丈夫だって。うちの学園の生徒も観に来てるみたいだし、そんなに気にしない気にしない」  「そうなの?結構遠いよ、ここ」  「あそこにいるよ」  また瓜生田が指差した先を見ると、牟児津たちと同じ学園の制服を着た一団がいた。全員が一様に大きなバッグを携え、しきりに劇場やポスターの写真を撮っていた。知り合いではないが、同じ格好をした集団を目にしたことで、牟児津の心はいくらか落ち着きを取り戻した。  「あの人たちも金平糖が目当てなのかな」  牟児津が本気でそんなことを言うので、瓜生田は小さく笑った。劇場に来る人々の目的は、そこで劇なり映像なりを鑑賞することだろう。今回の劇で入場者全員に配られる高級金平糖も目当ての1つかも知れないが、それを主目的とするのは今日この場では牟児津くらいのものだろう。    「金平糖のために来る人はいないと思うよ」  「いやいやうりゅ。今日の金平糖を舐めちゃいけないよ」  「金平糖は舐めるものでしょ」  「そうじゃなくて、今日配られるのは老舗高級金平糖専門店が、ここで配るためだけに卸してる非売品の金平糖なんだよ!日本中どこに行ってどれだけお金積んでも買えない、そういう代物なの!分かる!?」  「うんうん、分かる分かる。分かるからそんなに大きい声出さないで。恥ずかしいから」  瓜生田に指摘されて、牟児津は慌てて口を抑えて周りを見回した。劇の上演時間が近付いているせいか、先ほどまで行き交っていた身なりの良い賓客たちの姿はもうほとんどない。さっき見た制服の生徒たちの姿もない。それに気付いた二人は、慌てて建物の中に入った。
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