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「そういうのは阿部に任せておけばいいんだよ」
「いや、さすがに今回はまずいスよ。ホトケとは言え、もう三回以上……、いや十回以上は肩代わりしてもらってんスから」
「お前な、ホトケの阿部だぞ? そんなのほっとけー、てな!」
わっはっはーと豪快に笑いながら、松田課長はオフィスを後にした。
「ねぇ、阿部さんに何を頼むの?」
チェアを後ろに滑らせながら、私は聞いた。ついでに多田くんのデスクにあった「たけのこの里」を一粒つまんだ。
「きのこ派が、寝返る気か」
「多田くんだって、目移りすることあるでしょ」
「俺はたけのこ一筋だ。浮気なんかしないよ」
「浮気がバレてフラれたくせに」
「うるさい、ほっとけ」
学生時代から三年付き合っていた彼女に、多田くんの浮気が原因でフラれた日からまだ一か月も経っていない。
先日行われた定年退職者の送別会では、主役を差し置き、元カノの名前を泣き叫びながら暴れてしまうほどの酩酊ぶりだった。
「で、阿部さんに何を頼むの?」
「あー……例の飲料水、の、追加要望で色々あってさ……」
歯切れの悪いその答え方に、案件に直接関わらない私でさえも面倒なことだと察しが付く。
「今までに十回以上も、って本当なの?」
「阿部さんじゃなかったら収集がつかない状態だったからさ」
私の会社はシステム開発を請け負っているが、クライアントの要望を初期の段階で絞ることがとても重要だ。
なぜならここを抜かると追加の要望によって納期や予算が逼迫し、後々大きなトラブルにつながることは必至だからだ。
でももしそんなことが起きてしまった場合には、リーサルウェポンである「ホトケの阿部さん」が謝罪に同行し、阿部さんには全く関係のない案件だというのに頭を下げ説得にかかる。
すると、怒髪天を衝かんばかりだったクライアントでさえもどういうわけか落ち着きを取り戻し、交渉がスムーズになるのだ。
そんな現場が幾度となくあったという話は、私も聞いていた。
もちろん、阿部さんにとっても嫌な仕事であるに違いない。
でもきっと彼ならば嫌な顔一つせずに引き受けるのだろうなと、端末に向かって淡々と何かを打ち込んでいる阿部さんを見ながら思った。
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