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会社から出た瞬間、アスファルトから蒸発した湿り気が、そのまま肌にべとりとまとわりついてきた。
案の定、阿部さんは会社を出ると、自宅に向かう駅とは反対方向に歩き出した。その後ろ姿を見失わないように、そして気づかれることのないように、私は慎重に、適度な距離を保ちながら忍び足で追いかける。
月曜日のオフィス街。行きかう人の絶えないこの道で、忍び足である必要は全くないけれど。
阿部さんは帰宅経路にはない地下鉄の駅に着くと当たり前のように階段を下り、当たり前のように車両に乗り込んだ。
私は慌てて隣の車両に飛び乗り、他の乗客に隠れながら阿部さんを観察した。
疲れた表情も見せず、浮足立つような様子も見せず、穏やかな表情で佇む阿部さんは、まさにホトケの阿部。いつもの彼そのものである。
そんな様子を伺っていると、あの時偶然見かけたその人は、実は別人だったのではないかという思いがよぎる。
だが私が予測していた駅に電車が滑り込むと、阿部さんは当たり前のようにプラットホームに降りた。
見失わないように早足で改札を出ようとしたところで、私は思わず踵を返す。何故なら阿部さんが改札を出たところで誰かと話をしていたからだ。
とっさに柱の陰に隠れて様子を伺う。
「あの人……」
軽い失望とともに、散漫だった記憶がはっきりとした形で息を吹き返す。
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