おとぎ戦士チルドレン

1/5
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 春の穏やかな気候が過ぎ去り、梅雨のジメッとした空気が漂い始める中、赤穂 茜(あこう あかね)は本日の小テストのことで頭がいっぱいだった。  予習も復習もしているつもりだが、どうしても暗記問題が苦手な茜にとって漢字は天敵とも呼べる相手になる。 「あ~~、もう。絶対に点数低い! なんで漢字ってややこしい文字ばっかりなのかな~」  ブツブツと文句を言う茜の横で、クスッと笑うのは幼稚園からの幼馴染、加藤 まりえ(かとう まりえ)。まりえはお淑やかで可愛らしい良家の一人娘と言った容姿にも拘らず、実際は母親を幼い頃で亡くし、男家族の中で育った為、やや剛気のある少女だった。 「茜ちゃんは漢字が本当に苦手なのね」 「算数ならちょっとは自信があるよ。答えがあるのはいいことだ」 「それをいうなら漢字の方が、正しい答えがあると思うんだけど……」  漢字は写して覚えるだけで良いが、算数は計算してたくさんの答えが出る中の正解を見つけなければいけない。まりえはそれが苦手だ。  正しい計算式を覚えても、数字の入れ方によっては全く違う答えになってしまう。一つの答えしかでない漢字は勉強の中でも楽だと思うのだが、茜にとっては違うようだ。  腕を頭の後ろに組み、ため息を吐いている。 「あたしは覚えるのが苦手なの。目で見て、書いて覚えて、完璧に模写しなくちゃいけないなんて面倒臭くてやりたくないよ。それなら算数の方が数打ちやれば必ず正解に当たるから正解率も上がる。ね、楽でしょ?」  ドヤ顔する茜に、まりえは苦笑いを浮かべて聞き流すことにした。数打ち戦法を熱弁されたところで、すぐに答えに辿り着かなければ遠回りでしかないと思う。  茜は“楽”と言う言葉の使い方を完全に間違えているが、それを正してあげるほどの気力をまりえは持ち合わせていなかった。  にこにこと笑顔のままのまりえに気を良くした茜は昨日観たテレビの話題を振る。何て事のないどこにでもありそうな女子小学生たちの登校風景。  そんな日常を茜の左腕に付けてあるリストバンドの下にある金具が振動し、打ち破る。  楽しい時間は終わりだ。  茜は内心、舌打ちして、まりえに申し訳なさそうに苦笑いを浮かべて両手を合わせた。 「ごめん、まりえちゃん。家に宿題のノートを忘れちゃったのを思い出したから急いで取りに帰るね!」 「え? でも、今から戻ったら遅刻しちゃうよ」 「宿題やってきたのに、やってない扱いされる方が嫌なの! 先に行ってて、急いでいくから!」 「う、うん」  茜は全速力で来た道を戻り、角を曲がる。茜の姿が完全に消えたところで、まりえはポツリと「今日の宿題、音読と一言日記だけなんだけどなぁ」と呟いた。 〜・〜  人気のない裏路地に差し掛かったところで茜は立ち止まった。左右を見回し誰もいないことを再度確認すると、左腕に付けていたリストバンドを外してズボンのポケットにしまい込み、右手の親指を金具に付いている金色の円盤に押し付けた。 『指紋照合、確認。パスワードを音声入力してください』  どこからともなく聞こえてくる機械音に茜は応える。 「おとぎ戦士:赤ずきん、戦闘モード。狼さんと狩人さんはお友達」  最後の言葉と共に、茜の姿は一瞬で変わった。  一般小学生らしいパーカーとズボンから、白いブラウスと裾部分に赤いラインの入ったスカートと膝下まである革製のブーツ。スカートの下には見せる用のかぼちゃのパンツも履いていた。瞳も黒から緑へと変わり、髪色も黒から金色に変わるが、すぐにトレードマークである赤い頭巾を被ってしまうので隠れてしまう。せっかく綺麗な金色の髪になったのに、少し勿体ないと茜は内心思っていた。  最後に左腰に、革製のベルトに大きな裁ち鋏が鞘に収まる形で現れて、変身は終了だ。  誰にも見られず変身を終えると、茜――赤ずきんは地面を思いきり蹴り跳躍した。  変身後に跳躍すると、通常ではありえないほど高く飛ぶ。一蹴りで電柱の上に降り立つこともできた。  赤ずきんは左腕に付けている金具――リングに向かって声を掛けた。 「魔物は?」 『東駅です』  リングの答えに、赤ずきんはそこを目指すために走った。人様の家の屋根を駆け、電柱に飛び、屋根の上でくつろぐ猫を驚かせて通り過ぎる。  普通の人からは気が付かれない速度で、車と同じかそれよりも早くに駆けていく。速く魔物を退治して、まりえとなんて事のない普通の日常を送りたい。   学校に行って、つまらない授業を受けて、休み時間には仲の良い友達と話すような、女子小学生にとって“当たり前のこと”を、赤ずきんはやりたくて仕方がなかった。  踏み出す足の速度が増す。―――と、赤ずきんの足元が急に暗くなり、赤ずきんは眉間に皺を寄せた。 「やあ、赤ずきん。またのんびりと地面を走っているね」 「……出た。あたしは会いたくなかったよ、ピーター」  赤ずきんの真上を飛ぶ少年――ピーターは、緑色の帽子に白いシャツと裾の長い緑のベスト、緑のタイツを身に纏い、見た目は赤ずきんと同じ12歳くらいの容姿をしている。が、実際の年齢は聞いたことがないので何歳かは分からなかった。  ピーターは見た目と名前の通り、おとぎ戦士:ピーター・パン。同じおとぎ戦士であり、赤ずきんの先輩に当たる。悪い奴ではないがいい奴とも言えない微妙な少年だ。  赤ずきんが露骨に嫌な顔をしても、ピーターはどこ吹く風で軽薄そうに笑い、肩を竦めるだけだった。 「ふふっ、別に君に会いに来たわけじゃないよ? たまたま僕の進行方向に君がいるのを見かけたから声を掛けただけさ」 「ふぅん、あっそ」 「そう邪険にしても良いことないと思うけど? 赤ずきんはもう少し社交性を学んだ方がいいんじゃない?」 「あなた限定に邪険にしてるだけだから気にしないで」 「いつかボロが出ないと良いね」  にこにこ笑うピーターに、赤ずきんは「いーーーっ!」と歯を見せて威嚇する。子供っぽいと言われても、今は同じ年だ。変身中は“赤穂 茜”の自尊心など忘れて思い切り感情を出してやるのだ。  しばらく無言で走っていたが、ここまで同じ方向ということは彼の目的は自分と同じようだ。 「あなたも、この先の魔物に用があるの?」 「そりゃそうさ。僕たちおとぎ戦士は、世に現れる怪物を倒して、奴らの身体から溢れ出る”負の感情”をリングで吸い取ることが目的の一つだからね」 「怪物じゃなくて魔物じゃないの?」 「呼び方なんてどうでもいいだろ、決まった名称があるわけじゃないんだからさ。倒すべき相手としか教えて貰っていないんだから、魔物でも、怪物でも、悪霊でも、悪魔でも、ヴィランでも、呼び方は人の好きでいいんだよ」  ピーターのああ言えばこう言うところは嫌いだ。  別に赤ずきんの言葉を否定しているわけでも馬鹿にしているわけでもないが、聞いているこっちからしてみると、嫌味にしか聞こえない。  確かに、ピーターの言葉の通りではある。  赤ずきんたち、おとぎ戦士たちの目的の一つは、魔物と化してしまった人々から負の感情を回収し、元の人間の姿に戻すことだ。  そもそも、魔物とは人の中に生まれる負の感情が、人の身体に納まりきらなくなるほど大きくなり爆発したときに、人々に害をもたらす狂暴な存在ー赤ずきんの言う魔物ーに変化してしまうことを言う。  何故人々が魔物化する現象がなぜ起こるのか、なぜおとぎ戦士たちが負の感情に呑まれた人々を助けるのか、なぜ赤ずきんたちはおとぎ戦士に変身できるのか。全ての理由や理屈は分からないし知ろうとも思わない。  赤ずきん含むおとぎ戦士たちは、一匹でも多くの魔物を倒して負の感情を回収し、一定年齢まで集め続けて自身の願い事を叶えるために必死だからだ。  普通に暮らしていたら叶えられない願いを叶えることしか考えていないため、おとぎ戦士たちは自分たちの根底を知ろうとしなかった。  そのため、おとぎ戦士たちの戦いは負の感情を持つ魔物の奪い合うところから始まる故に、現在の赤ずきんとピーターの戦いは既に始まっているともいえる。  睨みつける赤ずきんとは違い、ピーターはニヤニヤと薄ら笑みを浮かべて余裕そうな顔をしている。実際、余裕なのだろう。 「さて。無駄話はこれくらいにして、僕が先に行って怪物を倒しておくから、後でゆっくりおいでよ」 「はあ? 何それ。あいつはあたしの獲物だ。勝手に盗るんじゃない!」 「そんな自分勝手なルールを僕は知らない。そもそもあいつらは早い者勝ちじゃないか。足の遅い君が悪いんだよ」  バイバイと、友達に言う様に手を振ると、ピーターは己の身体に鱗粉を振りまき、より速く飛んでいってしまう。ピーターは赤ずきんより早くにおとぎ戦士になったため、力の使い方が上手い。跳躍と脚力が上がり、裁ち鋏を振り回すことしかできない自分とは大違いだ。 (それでもっ)  立ち止まっている暇はない。嘆いている暇もない。赤ずきんは走る。走って、走って、彼らに追いつくために全速で走り続けた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!