2.現象

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2.現象

 貴方は黙っていれば綺麗なのに──大人になってから、漫画や小説とかでそんな台詞をよく見かけるようになった。  こんな事を言える人は贅沢者だなって思う。何故なら、表面的な美しい印象と、快活な内面の印象を全て受け取った上で、その人の解釈を決める事ができる。私にとっては、その言葉の騒々しさや忌々しさですら、羨ましい。  話し相手がどんな声をしているのか、何度も空想した。  勿論、幼い頃は両親の提案で補聴器を試したりもした。だから、人の声というものを全く知らないわけではない。けど、「自分は生まれた瞬間から耳が聴こえない」という認識はあまりにも重かった。  補聴器を通して聴こえてくるものは、誰かが捏造した偽物の音声なんじゃないか。そう疑ったのは一度や二度だけじゃない。  それに、会話する時の音量や発音に差異が生じる私と他の園児とは、どうしても隔絶が生まれてしまう。ただでさえ音の聴こえない世界は寂しいのに、誰も話しかけてくれない孤立した空間は幼いながらも生き辛かった。  その切なさとか、誰かと話したい欲望から、だろうか。  どういうわけか私は、モノから想いを汲み取る能力に目覚めていた。 『誰と話しているの?』  きっかけは昔、両親と博物館に行った時のことだった。  母がトイレに行っていて、付き添っていた父が館長らしき男の人と長話している間、手を振りほどいた私は黒い肌の人と会話していた。優しく堂々とした性格が目に見えるようで、初めて想いが通じ合う人と出会えたって嬉しくなっていた。  その最中に、母が肩を叩いてきたのだ。誰と話しているの、と手話で問いながら。  この喜びを共有したくて、幼い私は一生懸命に両手を動かして、一部始終を説明した気がする。すると、母はいつもの優しい微笑みを浮かべた。その意味が私の求めているものでないことを、すぐに察してしまった。 『もぉう、麗華ったら。それはね、石像なの。いくら話しかけても、その人は答えてくれませんよ?』  ──ほら、行きますよ。そう言って手を引く母に、私は必死で抗議した。  何言っているの。だってあの人、私の質問にちゃんと答えてくれたもん。想いが目に見えるぐらい、ハッキリと伝わるのに。お母さんには見えないの? 帰るまでずっと駄々をこねていたものの、無音の講義はやっぱり、声で伝えるよりも伝わりにくかった。  この時は運命だと思った。でも、後々知ることになる。あの出会いが運命ではなかったこと。お母さんの言っていたことが正しかったこと。そして、どちらかと言うと私の方がおかしかったことを。  その「想い」は、色々な場所で目にすることになった。家の入口に飾られた絵画。小学校の創立者の銅像。市役所前に設置された裸の女性像など……作品の周りで薄黄色の霧めいたものが浮かんでは消え、私を見つけるや否や胸の中にすっと溶け込んでいく。  このことを両親に何度か話したものの、信じてもらえたことは一度もない。微笑みとか、適当な相槌で流されてしまった。  だから、私は勘付いてしまった。  この「想い」が見える現象は、他の人には起こりえないものなんだって。  耳が聴こえない、普通じゃない私だから起こる現象なんだって。  それ以降、私は一層、静寂な世界にのめり込むことになった。  石像や縫いぐるみ、絵画と会話するのが日常となった。この子達だけが私のことを理解してくれる、そう思い込んで。  小学四年生になる直前、父の人事異動の影響で私達は違う町に引っ越すことになった。けど、今考えるとその背景には、いつまで経っても友達ができない私への、両親の心配の念もあったのだろう。
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