4.火種

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4.火種

 耕平と出会ったのは、小学四年生の秋だった。  今まで住んでいた町から引っ越して、新居に一番近い学校に転校することになった私は、過度な期待をしないで校舎に足を踏み入れた。頬に吹き付ける秋風が前の町よりも冷たくて、毎日のように文句を言っていたことを覚えている。  学校生活が始まった最初の頃は、案の定孤立していた。同級生がどうやってコミュニケーションを取ろうか悩んでくれていた辺り、前の学校よりマシだった。でも、それもきっとすぐに終わってしまうだろう。いつしか諦めて、私のことを放って何処かへ行ってしまう。これまでも、そしてこれからも。  そう自分から諦めかけていたあの時も。  彼は私の肩を、ポンポンと叩いてくれた。 『……こんにちは』  最初の一言は、あまりにも単調で、ぎこちない動きだった。  手話の知識があるのは伝わった。だけど、きっと何と声をかければいいか悩んで、自然な言葉が思いつかなかったのだろう。  徐々に両耳が赤くなる彼の、真面目で不器用な手話がおかしくて……何よりも嬉しくて、ついぷっと吹き出してしまった。何年ぶりだっただろうか、心の底から笑えたのは。 『あなたも手話ができるの?』  彼の勇気に応えるように、私は少し遅めに両手を動かした。動かし終えたところで、通じたか確かめようとじっと目を見つめる。一秒にも満たない沈黙が、胸をぎゅっと締め付けた。  相手の返答は、思いのほか早かった。 『ああ。俺の家族にも、耳が悪い人がいるもんだから。ある程度のことは話せるよ』  手話を読み取った途端、ぶわっ、と温かいものが込み上がってくる。自然と頬が緩んでしまい、何だか恥ずかしかった。  全身を支配していた緊張がほぐれて、私はようやく彼の──耕平の「想い」の存在に気が付いた。  無生物にしか無いものだと思っていた、薄黄色の温かい「想い」。それが耕平の胸の辺りでメラメラと燃えていた。まだ火種だけれど、成長したら大きく立派な炎になる。その確信があった。  この想いの行く末を知りたい。  そんな思いが、耕平という人物の興味をかき立てた。  静寂な世界に、初めて希望を見出した瞬間だった。
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