【1】

2/3
前へ
/10ページ
次へ
    ◇  ◇  ◇ 「あれ? えっと野村さん?」  退社時、エントランスを出たところで突然声を掛けられた。振り向くと、先日挨拶した──。 「あ、今野さん、ですよね? まだお仕事ですか?」 「覚えててくださったんですね。いえ、もう終わって直帰なんですよ。……よかったら食事でもどうですか?」  また会いたいと思っていた、憧れの彼に誘われたことに気分が舞い上がる。 「はい、ぜひ」 「じゃあ行きましょう。好き嫌いあります? 特別食べたいものとか」 「いえ、何でも結構です」  こういう時は具体的に何か挙げた方がよかったのだろうか。答えた後で迷う沙英に、彼は笑って駅の方角を指した。 「じゃあ、大きな駅まで出ましょうか。おすすめの店があるんですよ、イタリアンの」 「はい! イタリアン大好きです」  大通りから一本入った、あまり目立たない場所の小さな店。食事ももちろん美味しかったが、何よりも宗史と共有した時間を楽しんだ。  その日は食事だけで、連絡先を交換して別れる。  それが始まりで何度も会うようになり、特別な関係になるまでさほど時間は掛からなかった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加