キキミミ

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 直江は足を止め振り返った。ほとんど表情のない目つきで、まじまじと見つめられる。もしかして、あたしがわからないとか? 「木曽(きそ)(よし)()だよ。同じクラスの」 「わかってる」  わかってたんかい! それでようやく緊張がとけた。口も動きだす。 「助けてくれて、ほんとにありがとう。直江サンが来てくれなかったら、あたし、あと二時間くらいあそこから離れられなかったかも……。もう、誰があんなところに自転車を停めたんだろうね?」 「いや、あのおばさんでしょ」直江は表情を変えずに言った。 「パンパンの買い物袋を両手に持ってたじゃん。あそこに駐輪して、近くの商店街で買い物して、戻ってきたらあんたが自転車倒したんでぶちギレたんでしょ」 「えーっ、そういうこと? それじゃ直江サン、おばさんの弱みを突いたんだ。すごいね!」  そんなの、全然気づかなかった。素直に称賛すると、直江は笑うどころか顔をしかめた。 「おばさんもおばさんだけど、あんたもあんただよ。歩きながら『キキミミ』使ってたでしょ。考えなしに使うのはやめなよね、まじで」  今度はこっちが口ごもる番だった。その隙に直江がきびすを返す。さっさと歩いていってしまう背中を、あたしは呆然と見送った。 「反省します……」  直江の言うとおり、最近ちょっと考えが足りなかったかもしれない。だって『キキミミ』が便利だから……いや、この考えがいかんのか。首を振り、あたしも家に向かって歩き出す。  あの子とまともにしゃべったの、初めてかもな。歩きながら思った。  『キキミミ』ができるまでは、みんな音楽を聞いたり通話をするために小型スピーカーを耳の穴に入れていたらしい。耳の穴だなんて、なんか痛そうだ。落として失くすこともあったという。 「ストラップとか付けなかったの?」と親に聞いたら、なぜか笑われた。  その点、『キキミミ』は持ち運びを気にする必要がない。耳たぶに埋め込むタイプの(インプランタブル)デバイスだから。  わずかな熱と血流で動作するナノマシン群が鼓膜と脳の間の信号を調整し、聞きたい音を大きくしたり、逆に聞きたくない音を遮断したりしている、らしい。聴覚ハックってやつ。スマホと連動して音楽を聴いたり、ネット通話もできる。  塾や部活で忙しい中学生は、主に仮想のトーク・ルームでおしゃべりするために『キキミミ』を使っている。音楽、マンガ、アニメ、アイドル、ゲーム、スポーツ、ドラマ、部活、趣味、家族、友人、恋愛……話題は無限にある。『キキミミ』があればいつでもどこでもしゃべれるので、しゃべり過ぎて喉にポリープができるんじゃないかと心配になるくらいだ。
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