サイレント・プレイス

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【NO.2】  火薬の臭いがする煙を吸い込み、思わず噎せ返った。しばらく気を失っていたらしい私は、そのせいで目を覚ましたようだった。床に倒れている体は、金縛りにあったみたいに身動きができない。周囲は薄暗い靄がかかっていて、不気味なほど静かだった。  此処はどこだろう。  私は此処で何をしていたのだろう。  よく思い出せない。  一時的に頭の中の記憶を抹消されてしまったような感覚だ。  しばらく考えていると、おぼろげにビルの一階にあるカフェで昼食を取っていたことだけは思い出した。だが、そこから先はどこまでもぼんやりしていて、埓が明かなかった。取り戻した僅かな記憶でさえ、どこか他人のもののようにも感じられた。  倒れたまま、なんとか首を動かしてみる。  すぐそばに、何かが見えた。  目を凝らした私は、ぎょっとして顔を背けた。人の片腕が、血まみれで転がっていたのだ。  数秒後、下半身を経験したことがないような激痛が襲った。私は悶えながら必死で体を起こした。  無い……。  そこにあるはずの両脚が、何処にも見当たら無かった。私は、恐怖に怯えながら再び意識を失った。 【NO.3】  苦しい……苦しい……苦しい……  私はまともに息ができなかった。胸の辺りを見ると、大きなガラスの破片か何かが突き刺さっていた。衣服には血が滲んでいる。私はガラスを抜こうとして手を伸ばした。だが抜いてしまったら、そこから血があふれ出てしまうかもしれないとも思い躊躇した。  私は、今、夢でも見ているのだろうか。それともこれは現実なのか。  現実だとしたら、此処はどこだ。  なぜ、私はこんなにも悲惨な目に遭っているのだ。  この私が、一体何をしたというのだ──。 ***  灰色の壁に囲まれた部屋の中央に、一台のベッドだけが置かれている。その上に、いくつもの管が全身に繋がった男が横たわっている。  時折、身体を痙攣させる男をモニター画面で眺めていた新人執行官は、やるせない気分で上司に告げた。 「囚人462号、現在、三人目の被害者相当分の刑罰執行に入りました」  上司は、資料に目を通しながら呟いた。 「今日は、長丁場になるな。何しろ死亡者38名、重傷者59名の被害者を出した爆弾テロの実行犯だからな」    数年前に死刑制度が廃止されたこの国では、極刑に代わり終身刑が導入されるようになった。だが、死ぬまで刑務所生活を送るだけでは不十分という観点から、を合せて執行することを条件に実施された。終身刑が確定した凶悪犯は、その収容中どこかのタイミングで、被害者の味わった苦しみ、悲しみ、恐怖など、負の感覚や感情のすべてを、仮想現実の中で「被害者」となって同じように味合わされるのだ。  デジタル技術の革新と人工知能の進歩によって、犯罪者の罪状から、被害の状況を、視覚だけでなく五感のすべてに渡って生々しく再現することが可能となっていたことが、法改正の議論を後押しした。新制度の導入にあたっては、刑罰としての倫理的問題や犯罪の抑止力に対する疑問など、様々な反対意見も出て紛糾した。だが、最終的には被害者感情や死刑執行者の精神的負担の考慮に重きが置かれ、新制度は実現の運びとなった。 「たしかに、死刑を執行するよりはましかもしれませんが、これもどうかと思いませんか」 「どうか、というのは?」  新人の言葉に。顔を上げた上司が訊ねる。 「だって僕らには、今、あの囚人が見ている仮想現実の世界が全くわからないじゃないですか」 「それは、AIがブラックボックスの中で作っているからな。しかし、下手にそれを我々に見せられても困るだろう?」 「まあ、それはそうですが……」  新人執行官は、痛いところを突かれ、言葉に詰まった。  男はベッドの上で、断続的に痙攣を起こした。時折、声にならない呻き声をあげることもあった。  別室には、執行終了後のケアをする医療スタッフが無言で待機している。囚人によっては、心身に重篤な影響を及ぼすケースもあるからだ。  灰色の室内では、静けさの中で刑の執行が黙々と続いていた。 〈了〉
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