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貴族とは【高貴な血統】である。 上流階級だからこそ特権を持ち、庶民達とは違う別世界で生きているのだと教え込まれた。 それを象徴するのがこの広い庭と立派な屋敷だ。 (母屋に入るのは久しぶりだな…) 今日はいつも仕事で忙しいお父様が俺を呼びつけた。 大丈夫だ…。 体臭を指摘されることがないよう水浴びもしたし、持っている中でも一番いい状態の着物を着た。身だしなみに関しては普段の倍マシなはずだ。 繰り返し自分を励ましながら、お父様の待つ書斎まで少し軋む床を歩いた。 「お待たせしました」 「あぁ、雪路(ゆきじ)か。約束の時間は、5分過ぎているな」 「すみません。ここにくる途中、純治(じゅんじ)兄様と少し話し込んでしまいました」 頭を深々と下げればお父様はふんっと鼻で笑った。 「まぁいい。時間に追われる庶民共とは違い私には心に余裕がある。そうだろう、雪路?」 「はい、お父様」 お父様は寛大な方だ。 俺が遊女との間に生まれた卑しい身分の子であっても、お父様は認知して屋敷の敷地内に住処を与えて下さった。 着物に困ったことも食べ物に飢えた経験もない。 だから、俺はとても幸せ者なのだ。 「お前を呼んだのは他でもない。高橋清人(たかはし きよと)の件でだ」 「……私の婚約者様が、なにか?」 「その婚約は、白紙となった」 ……え? はっと顔を上げれば無表情で俺を見るお父様の顔があった。 侮蔑と怒り。 その表情にぞわっと鳥肌が立つ。 「もっ、申し訳ございません!!」 そんな…、急にどうして!? 疑問の声より先に、勢いよく床に手をつき謝罪の言葉を述べた。「いったい…、お前などが…っ」と怒りで震えるお父様の声に、ぶるぶると震える体と冷や汗が止まらない。 「ば、罰はなんでも受けますっ…、ですので、どうか…っ」 「うるさい!!」 ―――っ! お父様の怒声に心臓が跳ねた。 バクバクと心臓の音がうるさい。目の前が真っ暗になりそうだった。 「……これで役立たずのお前をこの家に置いておく理由もなくなった。だが安心しろ。貴様には新しい居場所を用意してやったぞ」 「あっ、新しい…居場所?」 「行けばわかる。ハッ、長く気に入ってもらえるようしっかり奉公するように。話はそれだけだ」 パサッと投げ捨てるように床に置かれた一つの封筒。それをそっと拾い上げるとお父様から退出するよう促された。 「……分かりました、精一杯努めます。なのでお父様、どうか…次の命日こそ母の墓参りに、」 「雪路。今、折檻されずに済んだのは私からの許しと愛だと思わんか?」 「っ、申し訳ございません。失礼します…っ」 再び床に頭をつけた後、俺はお父様の書斎を後にした。 * * * 「ただいま」 母屋と離れその建物をもう少し奥に進んだ物置小屋が俺の家だ。 随分と年季の入った小屋だけど造りがしっかりしているおかげで普通の生活をするにはじゅうぶんだ。それに置かれている物も随分昔に壊れた農具や埃を被った物…とガラクタばかりだから使用人ですらほとんど立ち寄らない。 母の着物といった遺品らは亡くなったその日に一緒に火葬するのだと取り上げられ、とっさに隠せたのが琥珀のついた簪だけだった。 親不孝者と言われたって仕方がない。 この唯一残された簪を遺影がわりに飾っていた。 「ごめん、母さん。お父様は……今年の墓参りも仕事が忙しくてこれないそうです」 へらっと笑ってみたけど、やっぱり心は晴れない。 あまり気落ちしないようにこんな時は母さんの口癖を思い出すのだ。 「『いい、雪路。お父様を嫌ったり恨んだりしてはダメよ。こうして私たちを住まわせて食事と、私のためお医者様も呼んでくださる。愛情深く、とても優しい方よ』、ですよね。反省します…」 そうだ。お父様には何か事情があるんだ。 まだ墓参りに訪れないのは母さんを亡くした心の傷が癒えてないからに違いない。 それにもう一つ報告があった。 「気合い入れて身支度もしたんだけど…俺はやっぱりダメですね。ついに婚約者様にも見限られてしまいました」 俺は男であっても、数百人に一人はいる子宮持ちだ。秘薬を飲むことで普段は眠っている子宮を活性化させ妊娠することができる。 いくら穀潰しだ、役立たずだと蔑まされようとも俺は榊家の人間。同じ貴族である高橋様との婚約はお父様が決めていたことで、その婚約があったからこそ俺が成人を迎え高橋様と結婚するまでこの家にいることが許されていた。 「……優しい方だといいですね」 まるで他人事のように呟いてしまったけど俺に選ぶ権利などないんだ。お父様の言った新しい居場所で……長く気に入ってもらえ、とはそうゆうことなのだろう。 実際女性との妊娠が難しくとも子宮持ちとの間で妊娠したという話はあるもので、世継ぎが欲しい人間からしてみれば俺のようなゴミ寸前の者でも役立つらしい。 捨てる神があれば拾う神もなんちゃらだ。 ただ欲しいのは俺じゃない… 愛されるのは難しいだろう。 せめて仲良くできる方だといいのだけれど… 「ごめん、母さん…俺、ここにいられなくなっちゃった」 (でも置いてったりしないからね) その日の夜は簪を胸に抱いて眠りについた。
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