553人が本棚に入れています
本棚に追加
/28ページ
17
俺は天命だと思った。
お前はこの山で彷徨い野垂れ死ぬのだと…
そう、だから… もういいや
疲れたのだから眠ってしまおう…
「ゆ、っ、… 雪路、!」
けど、ゆっくり瞼を閉じようとする体を抱き上げ力強く意識を揺さぶる灯火が見えた。
「――――雪路、しっかりしろ、 雪路!」
「まな、と…様?」
「っ、良かった意識はあるな!?」
朦朧とした意識の中もこれは夢だと思った。
あぁでも間違えるはずがない。
真斗様の匂いと声だ… 抱きしめてくれる大きな腕を、間違えるものか。
「どうして、ここが…?」
「質問は後にしろ。こんなとこで遭難しかける奴があるか、馬鹿者…っ」
真斗様が泣いている…
勝手なことをした俺が、大事な人をこんなにも傷つけてしまった
(俺は貴方に笑ってもらいたかっただけなのに…)
死にたかったわけじゃない。
ただ、どこか遠くに行ってしまいたかった。
俺さえ居なければいいって思って……
「ごめんなさい…」
謝るなとは言われなかったけれど俺を連れて戻るつもりらしい、いや当然か。その為に俺を探してこんな所まで来てくれたのだから…
「山を降りたら近くの宿屋を探す。それまで頑張れるか?」
「……はい」
真斗様だって俺に追いつこうと相当な体力を使ったはずなのに俺が草履をなくした事に気づくと背負ってくれた。
唯一俺に出来ることは意識を手放さず背中にしがみつくだけだった。
広くてあたたかい背中に…
「雪路、もう離すなよ」
「……っ、…」
「は、い・…っ、…」
何から、と言われなくても痛いほど分かった。
――――――――――――――
(なにかあったのか?)
この賑わいようだ、厠も混んでいるんだろうと思っていたが時間が経てば異変に気付く。
いくつかの露店で立ち食いをしたがそれが原因で腹でも下したのか?
心配だと厠を覗いてみたが中に雪路はいなかった。
「…雪路!?」
改めて周囲を見渡せば雪路と似た柄の着物に似た背丈の者も多く、さらに真斗の人目を惹く容貌に誰もが振り向く。
酔った花見客に絡まれたのか?もしくは真斗を見つけられず迷子になったのか?
この祭りは幸いにも広範囲じゃないと己を落ち着かせ、雪路と行った出店や神社を探してみたが…雪路の目撃情報すら得られなかった。
(……クソッ)
時間が経過していくたび苛立ちと焦りだけが募る。
まさか… 向こうは俺を探していないのか…?
これとも人攫いに…
――嫌な予感がすると、心臓が跳ねた。
「やだ雨!?」
「嘘、さっきまで晴れてたのに!?」
さらに状況は突如大雨が降り出したことで悪化した。万が一彼が山に入っていたなら痕跡がすべて消えてしまう。
(……っ、この雨はっ、…!)
真斗だけにしか分からない。触れるとピリッと静電気が走るような雨だった。
最早手段を選んでいる時間はない。
誰にも聞こえぬ小さな声で、そっと口ずさむ祝詞。
「………
掛けまくもかけまくも畏きかしこき
天之宇迦大神の大前を(あまのうかかむやしろのおおまえを)
拝み奉りて(おがろみたてまつりて)
恐み恐み白く(かしこみかしこみもうさく)」
そしてあたりは静寂に包まれた。
あれほど人気のあった神社には人っ子一人おらず聞こえるのは雨音のみ。
立派な神木の下には一匹の狐がいた。
『これは珍しい。呪われた子か』
じっと真斗を見つめていた狐は女か男かも分からない中性的な声で楽し気に発した。
狐が人間のように喋るなど普通の人間が見たなら大慌てだろうが真斗は眉を動かすことすらせず、雨が降っているにも関わらず一切濡れてすらいない地面に膝をついた。
『化け狐に頭を下げるのがよほど悔しいのだろう?分かるぞぉ、お前の気持ちが、怒りが悲しみが。愛する者に捨てられた未練がましい男よなあ?で、なんの用事だ?人の玄関を叩きよって』
「化け狐?貴方が落神になっていたなら俺がいますぐ叩き切っていたところだ。豊穣の、天之宇迦大神よ』
『ふんっ。それはずーっと先代の名前じゃ、私は好かん』
ぷいっと真斗から顔をそらし、酒どころか油揚げすら持参していないことに神は文句を言うが真斗も世間話をするために結界を開いたわけではなかった。
「あの雨に貴方の神気を感じた。雪路はどこです?」
『さぁて藍之助には借りがあるが、なぁ?私はただあの子の願いを叶えてやったまでよ。豊穣の神を前に私利私欲を願う、醜い子のなぁ』
大切な許嫁を私利私欲だの醜いと言われピクッとこめかみが動いた。
さらに雪路の願いだと?
何を勝手なことを言うのか――――…
『睨むな呪われた子よ。アレを助けてどうする、生かしてどうする?お前が榊雪路を手に入れてもアレは不幸になるだけだろ。いっそ他の誰にもやれぬよう楽にしてやってはどうだ?』
「なにを好き勝手なことを!」
『好き勝手だと?少なくともアレは、今日の祭りを人生で最も幸せなモノとして選んだぞ?』
「――――まさか、雪路は…」
よりによって死を願ったというのか?
背筋が凍ったのを感じても、それが雪路を諦める理由になるものか。尚更言わなければならない言葉があると前を向く真斗を嬉々と笑う者がいた。
その神は愉快気に、もっと苦しめばいいとばかりに条件を突き出す。
『どうしても助けたいならば、お前の利き腕と寿命を10年ほど頂こうか。なぁに死ぬ予定だった者が助かるなら安いものだろう?』
それに私はあの魂を気に入った。
仏に導かれる前に横取りして来世など行けぬよう飼ってやるのも悪くない。
魂が自然消滅するまで愛する者に会えない苦悩を眺めるのは愉快だろう。
黙ってニヤリと心の中で細く微笑めば、目の前の男は思っていたよりも早い決断を下した。
「好きに持っていけばいい。だが持っていくのは俺が雪路を助けてからだ」
『足はあるだろう?』
「ダメだ。俺の寿命が尽きる可能性がある』
『………』
目に見えない寿命がいつ尽きるなど軍人の真斗には分からない。
それが分かっていても尚、今死に逝くかもしれない人間を助けたいと願っていた。
迷いのない目が、じっと神の解答を待っている。
『――――ハッ、お前ら親子は嫌いだよ。泣きもしない怖れもしない。化け物を狩るのも仕事だろうに嬉々として私と取引しようなど』
つまらん。実に面白くない。
いっそ頭から喰ってやると言えば良かったのだろうか。いいや、この人間はそんなことで屈指はしないだろう。
神は知っていた。
死を恐れない人間が一番怖い、と。
「私の許嫁が不躾な願いをしたことは代わりに謝罪申し上げます」
悲しみや穢れを含んだ願いをこの神は嫌う。
そんな願いをしたのは雪路だけではないだろうが、これを俗に"バチが当たった"と人は言う。
どうか許してやってほしい。深々と頭を下げる鬼崎の人間に神は目を見開いた。
【貴方を縛り不当な扱いをしたことを、今は亡き者達に代わって謝罪申し上げます】
かつて、ある男が――― この土地が潤うよう何百年と無理やり縛られた化け狐にしたものと同じだった。
『………ふんっ。そうだ私は落神などではない、気高く人に恵みをもたらす豊穣の神よ。
醜い子に再びおうたら伝えておけ、次はもっとマシな願いをしろ―――と』
あと今度は手土産を忘れるな。藍之助様に会いに来いと伝えておけ…
などと色々文句と注文をつけたあと、すっと前足で一か所の方向を指した。
「いつになったら止むのかなぁ」
「でも向こうの空は晴れてるからにわか雨じゃないかな?」
人の姿と声が戻った途端、真斗は思いっきり地を蹴り 走り出した。
最初のコメントを投稿しよう!