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「…ありがとうございました」 山を降りた直後、緊張の系が切れた俺は気を失ってしまった。 起きた時は宿屋の布団の上で、さらに真斗様が手配してくれたお医者様に診てもらった後だった。 ほんと何から何まで手間をかけさせておいて言える言葉がお礼だけだなんて… 情けない。 「気分はどうだ?」 「平気、です… どこも悪くありません」 泥濘に滑らせたとき右足を挫いただけで大怪我はなかった。泥まみれだった顔も体も綺麗に清められて宿屋の寝巻きを着ている。さっぱりした身体はもう寒さや痛みなんか感じちゃいない。 けど真斗様の【本当か?不調を隠していないか?】、じっと心配そうに睨んで見つめる二つの瞳は俺を疑り深そうに観察していた。 「本当です。おかしいと思ったらすぐ言いますから」 「………」 (信じて、もらえませんよね…) 分かる… 真斗様が物凄く怒っている。 ピリピリと刺すような空気を身に纏っていても、一応俺が怪我人だから怒りに耐えてくれているのか…。 「あの、……」 「雪路。俺の好意は重かったか?お前を追い込んでしまうほど苦しめたか?」 「ち、違います!」 「なら何故、お前は俺から逃げた!!」 ―――!! 初めて聞いた。悲痛な色をした瞳した怒号に思わずヒュッと息が詰まった。 真斗様は怒っている、そして悲しんでいる… 俺が死ぬかと思ったからだ。人を失う痛みや悲しみを俺は……分かっているつもりだったのに。 「…っ、真斗さまは、本当に悪くないんですっ!おれが、自分に自信がなかったから…、俺さえいなくなればいいって…、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」 「そうやって目を逸らすな。お前は俺と対話をする気があったのか?」 「―――、っ」 「俯くな甘えるな、こっちを見ろ」 いくらボロボロと涙を流したところで意味はない、何も変わらない。 ごめんなさい ごめんなさい… 謝っても謝りきれない後悔と謝罪なんて…許されるものか。 「雪路」 知っていた。優しい方だ、ぐしゃぐしゃと涙をこすり鼻をすする俺を放置すればいいのに近寄って心配そうに声をかけてくれるのだ。 俺は、貴方を傷つけたのに… それでも俺の声を待ってくれた。 あんなに頼ってほしいと言ってくれたのに俺は一度だって悩みを打ち明けなかった。 (なら、俺もきちんと話さなければ・・・) ぐっと顔を上げて涙でぼやける視界でも真斗様を見た。 いまも真斗様は俺の言葉を待ってくださっているのだから… 「俺は…、っ、いつか鬼崎家を追い出されても仕方ないんです、家柄も身分も違いすぎて、でも一番耐えられなかったのはっ、……っ、」 そんなことを言ったら俺は、俺という価値すら自分で失うことになる。 だけどもう良かった、貴方が俺の光だから 真斗様に――― 貴方だけに捧げたいと思ったことを。 「追い出された先で、貴方以外の子を孕まされるのは、いやです…」 榊にいたころは微塵もいやだとか思わなかった。 だってそれしか価値のない身体なんだ。 今は貴方以外の男に名前を呼ばれて触れられる未来なんて、考えただけで悍ましく耐え難かった。 貴方の熱を他人に奪われたくない。 貴方に抱かれて、俺は人生ではじめて…こんな身体でも良かったと思えたのに…。 「また失うことばかり考えていたのか?」 「違います、奪われたく、ありませんでしたっ」 俺は許可がなければ母屋に入れない、古い物置小屋に住まう貴族の息子とは思えない扱いを受けて来たんです。 誰も俺を見てはくれない名前も呼んでくれない。母さんの簪だけが話し相手で、きっと俺が翌朝死んでいても悲しむ人間もいなかったと思う。 そんな日々も幸せだと思っていた俺が、……貴方の許嫁になって世界が変わった。 夢じゃない。優しい現実が残酷だと思えるほど、俺は毎日楽しかった――――  そして早く夜が明けて貴方と話ができる明日になればいいって思うほどに。 「榊なんてどうだっていい!俺は、っ…、体も心もっ、真斗様以外に触られたくないっ!」 いっそ――― この胎がなかったら、なかったら…っ、 渾身の力で腹を殴ろうとした瞬間、その拳はパシッと真斗様に止められてしまった。 「雪路! 落ち着け…、大丈夫だ。お前をどこにもやるものか」 フーッ、フーッ…と繰り返す苦しいほどの呼吸の中でも、望んでいた腕の中に招かれてようやく落ち着けた。 どこにも、やらない… どこにも、 …、? 「――――俺は、おそろしいことを、…っ、ごめん、なさ…、っ、ごめっ」 「あぁ俺も怖った。俺も、怖った…」 どうしようもない どうしようもなくて、 ―――― 大声を出して泣いた。 「雪路。聞いてくれ、俺はお前が思うような素晴らしい人間ではない。生まれた時からこの魂は穢れ、さらに軍人としても血で手も汚した」 泣き疲れて俺は体を真斗様に預けるようにして甘えていた。 「……?」 「元々鬼崎とは誰よりも罪深い一族だ.人を殺め、必要ならば神をも殺す」 「神様も?」 「あぁ。だから何百年も前に神の怒りを買い―― 呪われた」 どういうことだろ… こんなに優しい真斗様の魂が穢れているなんて、一体? 色々と聞きたいのに、人肌に安堵しているのか体は言うことを聞かない。まるで昔話を聞かされる子供のようにウトウトしてしまう。 「呪いとは、一体?」 「……鬼崎の人間は子宮持ちとの間でなければ子供を成せない」 それはとても恐ろしいことだ。お家のためにも血筋を残そうと希少な子宮持ちを巡って争って面倒事も絶えなかったはずだ。 でも鬼崎の血は生きている…、真斗様だけでなく藍之助様がいる。 「間もなく耐えるべき血族だというのに、俺は生殖本能が強いがためにお前に強く惹かれた。だがそれだけじゃない、お前を失いかけた俺は怒りと恐怖に飲まれそうになった。生きたまま"鬼"になるところだったぞ」 「申し訳ございません…」 「ダメだ。謝ってもこればかりは許さん」 クスクスと真斗様が笑うから、俺はからかわれているんだと安堵した。 ふふ、髪の毛が頬や首筋にあたってくすぐったいな。 「俺がお前を見つけたのも神頼みだ。どうだ、信じるか?」 「はい。貴方がそう語るなら」 「疑っていいんだぞ?」 ううん、疑わない。信じないわけがない。 貴方が信じてほしいと言うなら、俺はどんな摩訶不思議なことだって信じてみせる。 「ですが、子宮持ちは俺だけじゃありませんよ?もっと相応しいお方が…」 「だからなんだ?俺はお前を選んだ。雪路が俺の好意に潰されて苦しいなら…諦めろ。子供は諦めてやるから」 まさか、そんなことを言われるなんて!? 思わず目を目を見開いて真斗様を見れば、真剣な顔があった。 そうか…。子宮持ちとの間でしか子供が望めないなんて、それは真斗様が今まで味わったのと同じ孤独や苦悩を味合わせてしまうのだろう…。 俺を慰めるための壮大な物語だと思っていた。 これが物語じゃなかったらいいのに… だからそれを願って俺も本心を語る。 「諦めなくていいんですよ。それに貴方の子ならば、俺は呪いでも宿命でもなんだって背負います。生まれたことを不幸と思わないくらい…真斗様なら、立派に育てられますよ」 「それもお前もだろう、雪路」 「…?」 「まさか俺だけに子育てをさせる気か?」 あぁ、そうでした。 なんて あたたかい 尊くって可愛い夢なんだろ…  そう笑いながら俺は眠りについた。
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