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『祭りの人混みでハグれてしまった雪路が、山へと迷い込み遭難しかけた』 ―――――なんとも間抜けな話だ。 屋敷の使用人達がボロボロになった俺を見て取り乱したりしないように、真斗様が予め連絡をしてくれての帰宅となった。 熱で倒れた件に続き、再び真斗様に迷惑をかけてしまった上に予定になかった一泊。 今ごろ屋敷では、「また雪路が旦那様を困らせた。本当にどうしようもない人だ」と皆が呆れ返っているに違いない。 ううん。その程度で済むならまだいい。 榊だったなら、あんなに慣れていたはずの軽蔑の眼差しが怖いなんて……。 失う覚悟は決めていたくせに、嫌われる覚悟ができていなかった。 「どうした?車は苦手か?」 「あ…‥そうではなくて、緊張してるんです。車に乗るのははじめてなので」 「はじめて?」 「はい。榊にも車はありましたがエンジン音?、を好かないとお父様が苦手で…移動するときはいつも馬車でした」 帰りは馬車ではなく真斗様が手配してくださった車での移動だった。そのおかげでうまく不安な感情を隠すことができたし、はじめてなのも嘘じゃなかった。 自動車とは大変高価な乗り物らしく、俺は触れるどころか近寄ることすら禁じられていた。 ……今もあの車が置いてあるのかは知らないけど、俺としては幼い頃の憧れだった。 カッコいいと思ったんだ。まるで箱のような乗り物が、馬や動物が引かずとも動くのだから…。その光景は摩訶不思議で好奇心をくすぐられた。 「すこし‥‥変な感じがします。思ったよりエンジン音って静かなんですね、椅子の座り心地もいいです」 「雪路、まだ動いてない」 「へ?‥‥えっ、あ」 ――――だって振動してるし、てっきり動いてるのだと…。 よほど俺の間抜けた発言が面白かったのだろう、真斗様が吹き出した。 (ううっ、恥ずかしい…) 穴があったら入りたい… そんな気持ちでいると視界に差し伸べられた手が映り込んできた。 「怖いなら手でも握るか?」 「そっ、そこまで子供じゃありませんのでっ、大丈夫です」 子供扱いされたことに頬を膨らませれば真斗様は意外だと驚くし、どうゆう意味ですか!と問いたくなった。 「菓子がダメになっただけで、あんなに拗ねた癖にか?」 「拗ねてません!確かにショックで凹みはしましたが‥‥‥私が子供なら真斗様は、ちょっと大人気ないですよ?」 「俺が、か?」 「はい!」 俺の膝の上にあるのは「銘菓」と書かれた大きな箱。 真斗様からもらった菓子の箱とその中身は、雨と泥でぐちゃぐちゃになってしまった。 そのことを鬱々と嘆いていたら「同じものを探そう」と真斗様が女将を呼びつけ、あろうことか「宿の売店に置いてある菓子類を全て買い占めたいのだが?」なんて言い出したのだ。 俺と女将は、「は??」である。 キョトンとした反応を不服と思われたのか、「金はある。車に乗らない分は後日鬼崎家に送り届けてもらえばいい。手間賃を含めいくらになる?」と続けたので俺が慌てた。 ―――これを放っておけば、後日大量の菓子が届けられてしまう…! それだけは絶対に阻止したかった。 だから『私のより心配させてしまったお屋敷の皆様への手土産をお願いします…!』とお願いしたのだ。 「皆さんへの手土産ができたので私は十分です」 「お前がいいなら俺は別に構わん」 それでも大量にお菓子が届くよりマシだと思いたい… (いや、正解だ) 俺は学んだ。真斗様の甘やかしにずーーーっと甘えていたら、価値観が狂ってしまう!と。 「お前は皆に菓子をと強請ったが、気遣う前にお前は気遣われる側だろ?」 「うっ、」 ―――痛いところを突かれてしまった。 とっさにお詫びの品がないなんてと思ったけど、そもそも俺は一銭も出しちゃいない。 あまりにも厚かましすぎる。 「‥‥‥こちらは、真斗様からの心遣いとお渡ししてもいいでしょうか」 「好きに渡せ。そんな余裕があれば、な?」 「?」 真斗様の言葉の意図が分からず、つい首を傾げてしまった。 * * * 「旦那様、雪路様。おかえりなさいませ」 とても穏やかな出迎えだったのに、さぁさと机の上に並べられた痛み止めに消毒液。さらには綺麗な包帯や杖を見て俺は固まった。 「おい。こんなに用意しろと言っていないぞ?」 「いいえ。これでもまだ不十分かと思いましたよ?なにせ真斗様がすぐ電話を切られてしまい、雪路様の状態がよく分かりませんでしたので」 チクチクと棘のある返しをしたのは使用人長の田中さんだった。珍しく不機嫌なのか顔がいつもより険しい。 あぁどうしよう、たくさん謝らなきゃいけないのに…こんな大げさな準備までさせてしまっては声がでない。 「幸い大怪我ではなかったようですね、えぇ良かった。ようやく一安心です」 「あ、あの…すみません!私のせいでこんな大事にしてしまって…」 車を降りてからも真斗様に抱きあげられてしまい、これじゃまるで真斗様を後ろ盾にするようなズルい格好だ。田中さんが不機嫌なのは俺の誠意を感じられないせいかもしれない。 それでも失った信頼を取り戻すために、まずは礼を尽くさなければ。 「雪路様」 「ありがとうございます。皆さんに気遣ってもらえて嬉しいです。‥‥…ありきたりな言葉しか浮かばないんですが、私は……っ」 どんなに嫌われてしまったとしても、虫が良すぎると分かっていても… 無事に帰ってこられてよかったってちゃんと言わなきゃ…いけないのに…。 「雪路様、顔をあげてください。貴方のことですから迷ったあとも真斗様を困らせたくないと自力でどうにかしたかったのですね?」 「…‥っ、さ、最初は戻れると思っていたのです…。不甲斐なくて本当に申し訳ありません…」 「いいえ。我々はけっして怒ってなどいませんよ。ただ…貴方が怪我をされたと聞いた時、あやうく私は卒倒するところでしたが」 ――――え 田中さん含め皆さんに呆れられるのは仕方ないと思っていたけど、予想外な言葉ばかりにゆっくりと視線をあげた。 そうすればみんな、俺を見て 誰もが微笑んでくれていた。 「心から安堵しています。貴方の帰りをみんなで待っていましたよ。雪路様、おかえりなさいませ」 改めて、と再びかけられた「おかえりなさい」の声に、 「ただいま」と微かにも震える声でも返すことができた。 * * * 【これからは一緒に寝て過ごす】 その実行は今日からで夕食後は真斗様の寝室へ招かれ、まるで病人かのようにベッドに寝かされていた。 なんとか部屋から母さんの簪と折り鶴だけはお願いして持ってきてもらったけど… 寝れるのかな、俺…。 折り鶴は潰さないようベッドの脇に飾ってもらった。 「どうした。はじめての車移動は疲れたか?」 俺の心境を分かっていて真斗様も意地悪な質問をする。 「もしかして、こうなるって分かってましたか?」 「言ったところで信じなかっただろ?」 うぅっ…。 言葉がなくてバツの悪さを誤魔化すように母さんの簪を見つめた。 「その簪は、亡くなった母の形見か?」 「はい…。私の手元に置くのに写真は高価なものでしたので、遺影としていつも部屋に飾っていました」 遊女の子供だったこと、物置小屋で生活していたことを真斗様に明かすわけにはいかない。 母屋ですら母さんの遺影を見たことはなかったけど、お父様は母さんを受け入れたのだからどこかにはあったはず、……あったと願いたい。 でなければ母さんがあまりに報われない。 「母親に、会いたいか?」 「え!?」 まさかの言葉にベッドに預けていた体を起こし、真斗様の顔を凝視した。 「母さんに、会えるんですか?」 「……すまない。死者に会わせることはできないが、榊に連絡をすれば写真なり絵なりを一枚は寄越すだろ。多少古くともあとは雪路の記憶があれば、画家に描かせることはできる」 「本物とはいかないが、記憶に近いものをお前に約束しよう」 母さんに、また会える――――・・・ その期待に全身が 心が震えた 「ほんとに、また…、会えるんですか……っ」 あんなに母さんを恨みそうになっていたのに どうして心は簡単に矛盾してしまうのだろう? …  ここは、―――― 希望が大きすぎる 「雪路」 「ちがっ、うれしいんです…っ、おれは、幸せで……、どうしたらいいのでしょう…?」 誰かの邪魔にならないように生きたいだけなのに そうできない。 感情だけがずっと迷子で 俺だけが異質だ。 「真斗様、幸せって‥‥ 怖いんですね」 「馬鹿がっ‥‥」 途端、抱きしめられてずっしり沈む ――――、俺はそっと手を伸ばした  。   
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