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田中と雪路の会話+オマケ
冬。
榊の土地は山間部だった為こうして雪の降る曇天も、それが積もることも普通の光景だった。けれど都会での積雪というのは結構珍しいらしい。
「うぅ、たまったもんじゃない。寒い寒い…」。ぶるぶると身を震わせて、雪を見るだけで気が滅入のだと使用人達はそろって時間が許する限り、暖かな室内で過ごしていた。
ただ一人を除いて…
「雪路様、そんな薄着では体が冷えます。せめて半纏を羽織ってください」
早朝から玄関周りの掃除をしていた雪路に声をかけたのは田中だった。
「え、でも…」
「でもではありませんよ。ほら、今朝は一段と冷えますから」
熱く暖かそうな半纏だが、田中にそれを手渡されて雪路は困った。
なにせ雪路と鬼崎の使用人達とでは鍛え方が違うのだ。
(んー…そこまで寒くないのだけれど)
家事をするのに厚着をしては動きづらい。それに懐にはカイロ、それも真斗様がくださった上等なものがあるので十分だった。
鬼崎にきてからすっかり身に染みていたが、いつもこうして誰かに心配されてしまう。そしてそれに雪路が応えてしまうから過保護に拍車がかかってしまうのでは?と考えた。
「私は熱がりなので平気です。榊はもっと雪が積もる土地だったので、田中さん達より耐性があるのかもしれません」
「なるほど。……一理あるかもしれませんね」
「…!!そうでしょう!?」
ふむ、と顎に手を当てた田中を見て無性に嬉しくなった。
そして雪路は真斗からの贈り物であるカイロを見せた。それは温石を入れる白銀の筒で、低温やけどをしないよう布で包んで使用するものだった。
「この懐炉のおかげで、とっても温かいのです。こんなに小さいのに人の役に立つなんて、すごい道具ですよね」
しかし田中は小さく眉を顰めていた。
雪路は始めてもらった携帯用の暖房具が嬉しくて無邪気にも誰かに見せびらかしたい気持ちが強くあっただけなのだが、田中は知っていた。それが軍人ならば当たり前に配給されるものであると。
「雪路様。ちょっと失礼しますね」
「?はい、どうし……ひぇや!?」
田中の両手が雪路の顔挟んだ一瞬、氷水のような冷たさに思わずひゃっと叫んでしまった。
「駄目ですね、そんなものでは貴方を温められません」
「あ、あの、田中さん…?」
「どうかご自愛ください。貴方の存在は鬼崎の使用人らにとっての希望なのです」
冷たい手はすぐ雪路の両頬から離れていったが、硬い表情からは感情が読み取れなかった。そして田中は雪路の手から半纏をとり、まるで子どものように羽織らせたのだった。
「使用人らの大半、そして鬼崎の家を支持している有権者のほとんどが…、現役だった頃の藍之助様とその先代らに命を救われた者達です。もちろん現在は真斗様ですが」
―――――…。
忘れていたつもりなどなかった。田中は幼い頃から真斗と一緒にいる幼馴染だ。
そして真斗は雪路に伝えた。
鬼崎は、時として ”神” をも殺してきた一族だったと――――…
「私に多くを語ることは禁じられています。けれど、貴方も真斗様に助けられてのならばお分りでしょう?」
世の中には法と秩序でどうにもできないことがある。
どうしようもなかった。ただ、そのどうしようもなかった事に光をくれた存在。
―――― そして雪路は真斗が選んだ唯一の… 後継者を成せる者だった。
幸運なことに真斗の寵愛を受けているが、そのすべてを背負う覚悟があるのかと、主人(真斗)への無礼を承知の上で田中が友人の立場を露わにしていた。
「わ、私…、まだ何も知りません。鬼崎の事も、その…神様とか、呪いも…すみません」
何を言えばいいのか分からなかった。
真斗のそばにいたい、そして真斗もそれを望んでくれてはいる。けれど、まだ婚約者という立場は変わらず、真斗は雪路からの答えを待っているのだ。
「俺は、真斗様と約束したんです。そしてあの方は、必要な時が来るまで俺には何も教えてくれません。もしかすると一生…鬼崎家の"表"の部分しか知りえないかもしれません」
資格がないと判断したなら真斗様は口を閉ざす。
誰かに重荷を背負わさないように、優しい人だから……
「失礼しました。雪路様に抱いているのは、私の勝手な期待と妄想です」
「そんな、俺が、…はっきりしない性格なので、その…」
言いたいなら続けられる間だ。
けれど空気には限界がある。田中は窓枠についた雪を集め、まるでおにぎりを作るかのようにぎゅっぎゅっと握りだした。
まるで手持ち無沙汰を間際らせるかのように…
なのに、その仕草が、……田中は自分より年上の男なのに、少し拗ねた子供のように見えてしまった。
「半纏、ありがとうございます。田中さんはとても優しい人ですね」
「……」
「俺は真斗様だけでなく、皆さんの優しさの後ろに隠れて生きていくのが、本当は誰の迷惑にもならないんだと思います。こうやって忙しい田中さんを捕まえているのも、良くないことです」
鬼崎の事情は知らない。だけど突然やってきた許嫁が家事をしたいだの…、今思えば迷惑どころか全員が頭を抱えたに違いない。
なのに使用人の彼らは誰も嫌な顔をせず、雪路に鬼崎の屋敷について教えてくれた。
精一杯、主人の婚約者に気を遣って、我慢してくれたのだ。
それが分からないはずもない。
「俺は……寂しかったんです。ずっと一人だったので、誰かと何かを出来るのが、とても嬉しかったんです」
「雪路様?」
結局、自分が甘えたかっただけだ。
母さんからの愛情が足りなかったわけでもないのに、穴埋めをするかのように…。
「ありがとうございます、田中さんと話が出来たのも嬉しいです。だから…、至らない部分はどんどん注意してくださって構いませんので、ダメでしょうか?このお屋敷のために、出来る限りの何かをしたいのです。俺は、一人でもこなしてみせるので」
「雪路様」
しゅんとうつむいた時、そっと目の前に雪の塊が差し出された。
いや、雪の塊ではない。
雪と葉っぱで作られた、それは・・…
「か、かわいい…」
「雪うさぎですよ、雪路様」
「え・……」
何故忘れていたのだろう、雪うさぎは、"仲直りの印"だった。
『で、こっちが雪だるまだ』と、田中の声ではない幼い子供の声が聞こえた気がしてハッと振り返った。
しかし、いるはずがない。
……とても楽し気な、声なのに…。
それがなにか、とても―――…大事だった気がするのに…
「雪うさぎ、の……作り方を教えてください」
「はい?」
「窓枠にこの子がいたら、みんな雪を見ても億劫にはならないでしょう?」
それはいい提案ですね、と田中がほっと笑い、雪路は微笑んだ。
* * *
『可愛いですね、――――兄サマ』
その声で目が覚めるときは、たいがい頭が重い。
何年も前にある記憶のはずなのに煩わしい事この上ない。
「チッ」
窓の外を見れば使用人らの子どもたちが雪遊びをしている。
無邪気に、うれしそうに…
「……あれの親は誰だ?子供の躾をできない親など不要だ、クビにしろ」
榊純治は、氷のような冷ややかな声で 命令した。
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