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9 (真斗視点)
(真斗視点)
「……それでは、私はこれで失礼致します」
雪路があげた悲痛な叫び声は使用人達の耳にも届いていた。彼らも何事かと驚き、代表として使用人長である田中が駆けつけてきたのだが、彼なりに状況を察したらしい。
嗚咽をあげて泣く雪路のためハンカチを差し出した後、真斗に一礼をしてそそくさと立ち去った。
「ぅ…、こんな、見っともない姿を、っ」
「安心しろ。皆、お前が俺に虐められていないか心配だっただけだ」
雪路は気付いてなかったが、礼の際に田中が見せた一瞬の真顔は、幼馴染として『しっかりしろ』と主人ではなく真斗を叱咤していた。
それすら雪路は認めず謙遜するだろうが、田中だけでなく今まで屋敷に来た女達とは違うことを全員理解していた。
「とっくにお前の働きを誰もが認めている。疎ましく思うものか」
「ごめ、…・なさ・・っ、」
また謝る…お前は励まされたこともなかったのか…。
嗚咽は止まっても小さく啜り泣く声は耳に入ってくる。こうして雪路の体に触れたのは初めてのことだったが、喜びや幸福とは無縁の時間だった。
「それよりも苦しくないか?」
……馬鹿な質問をしてしまった。
雪路は男だぞ?ちょっとやそっとの力で壊れるわけがない……いや、こんなにも細くて軽い体だ。力加減を間違えれば今度は体まで傷つけてしまうんじゃないか?
とにかく、いまは気が引けてしょうがない。
「・…、あ、っ」
「やはりダメだ。お前が落ち着くまでこうしてよう」
ハッとしたあと真斗の膝から降りようとした雪路を囲うように引き戻す。
重くなどない。それどころか心さえ弱りきった雪路は、いつにも増して小さくそして儚く見えた。
(放っておいたら、お前は戻ってきそうにないな…)
それこそ雪のように消えてしまうんじゃないのか…。
それに今し方、雪路が見せた涙に濡れた上目遣いの瞳は真斗に"まだ離さないで"と哀願しているようだった。
――――――なら早く泣き止め、と強くは言えないが願う気持ちはある。
祈るような気持ちで雪路の背中をさすった。
(真斗様…)
言葉や感情はなくとも人から伝わる体温を感じていた。
あぁ、すっかり忘れていた。人の温もりとはこんなにも、あったかいものだった…。
思えば母親以外にこうやって誰かに守るように抱いてもらった記憶はない。
(あったかい…、)
散々真斗の前で醜態を晒したおかげか、これ以上自分が失うものはないと分かっていた。
ならば、今はこうして甘えていたい。
どうして優しくしてもらえるのか?という疑問や榊で教わった決まり事よりも、いつもより近く聞こえる真斗の声が聞き心地がいい。
腕を中心に広がっていくあたたかさに、うっとりと目を細めていた。
「ゆき、……なんだ、眠ったのか」
雪路は強張らせていた力を抜いて真斗にくたりと身を預けるように意識を手放していた。
「…… 子供か、お前は」
それでも安心したような表情は悪くない。
しかし苦笑しながらそっと雪路の前髪を掻き分けてやると、どうしても泣き腫らした目尻と目元のクマが目立つ。
『朝から晩まで仕事を探してウロウロする』。
目を合わすことを嫌う雪路のため、真斗も無理に顔を覗き込むような真似はしなかったが、こんなにも分かりやすい疲労の証があった。
(何故ここまで無理をした?お前が、榊家に大事にされていなかったのが原因か?)
【奉公に来ました】
真新しい記憶を遡って雪路が鬼崎にやって来た日のことを思い出す。
少ない手荷物と上等とはいえない着物。勘十郎が約束していた護衛はいないどころか、どういう経緯で鬼崎家に寄越されたのかを当人だけが知らされていなかった。
『ふざけているのか!?』
いつ没落してもおかしくない下級貴族に随分舐められたものだと真斗は激怒したが、雪路が誤解だの自分の勘違いだっただのと必死に訴えた。
『鬼崎様、お願いです…っ』
縋りつき真斗を止めようとした雪路を、最初は力任せに振り払おうとしたのだ。
けれど、それはできなかった。
細い体と腕で、何に願えばいいのかすら分かっていない人間が、それでも真斗に願うのだから……。
思えば、あの時すでに雪路は"特別"だった。
「今も俺は、お前に対して言葉が足りないな」
まだこうしていたいが、さすがに雪路の体が冷えてしまう。それにいつまでも片付けができないと使用人らが困ってしまう。
ただ見合いやらを都合よく断る道具として、一目で気に入っていた雪路を榊から貰った。
しかし、最初から最後まで雪路本人の意思はない。
(奉公で送られたんじゃないの!?)
察するに近い驚きはあっても榊にも鬼崎にも抵抗も反発することなく、ほぼ初対面の真斗を受け入れた雪路。
アレは決して自己主張しないよう、躾けられた性格だった。
『追い出さないで…』
それでも真斗に見限られ、捨てられると異常なまでに怯え切った姿が消えない。
ずっと隠していた本心だったとするならば、雪路はおそらく……。
(お前は、子を成したくないのか?)
違う。ごく普通の願いだ。
人としての尊厳があり、つらくとも幸せのある平凡な日常。
それを雪路も欲しいのだ。
概ね推測は正しい気がするが、なんの確証もない。
(一度、徹底的に調べるか…)
憶測だけでは足りない。最初ならいざ知らず、今はどこにもやるものか。
根源は必ずどこかにある。
雪路は、唯一無二。 俺の婚約者だ。
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