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下校時間が過ぎると、幾度も我が家のドアチャイムが鳴る。
子どもたちはここに集うと、大声で騒ぎ、お菓子を食い散らかし、コンセントを好き勝手に使う。
そんな日々に疲れ果て、私はついに噴火した。
私は我が家にやってくる子どもたちの親の顔を知らない。
おそらく、説明会やら参観やら、運動会やら、発表会といったようなイベントで顔をあわせてはいるのだ。しかし、「こんにちは」程度の関わり合いである。
そんな希薄さ故か、「いつもお邪魔してすみません」と頭を下げられたり、「いつもありがとう」と礼を言われたりすることはない。
私はコウタが誰かのお家にお邪魔する、となったなら、ちょっとしたお菓子を持たせる。約束なしに急にお邪魔することもあるだろうが、そのような時は、次にお邪魔する時に何かを持たせるか、「先日はお世話になりまして」と挨拶に伺う。
それが礼儀というものだと思うのだ。
仮にコウタがどこかのお家で遊んできて、そのお宅がお礼を拒否するようなことがあったなら、私は「今度その子に遊びに来てもらいなさい」と言う。
そうして、負担のバランスを取ろうとする。
なぜそう考えるかといえば、子どもの世話は負担が大きいからだ。
さて、この世の中には、心遣いなく、私設託児所であるかのように子どもたちの面倒を見させられて、不満を膨らませない人など居るのだろうか。
精神的にも肉体的にも辛い仕事を、無給で、いや、お菓子代を負担をしてまでしなければならない理由はどこにある?
私が心の底から愛せる子どもは、コウタだけ。
本音を言えば、お行儀がいい子だって、面倒を見るの、嫌なの。お行儀が悪い子なんて、論外だわ。
「コウタ。お友だちを呼ぶなら、みんなにお菓子とかジュースとか、何か持ってきてほしいんだけど」
子どもたちが帰った後、ヘトヘトの体に鞭打って配膳しながらそう伝えた。
親たちの配慮に期待を持てない今、せめて何かを持ってここに来ることくらいは要求したいと思った。たいそうな菓子折りなど求めていない。しかし、我が家を無料で食べ飲み放題の場所として扱われるのは、もう限界だ。
みんなでお小遣いを出し合って大きなペットボトルを買ってきて分けて飲むとか、自分の分のおやつは自分で持ってくるとか。もうすぐ中学生なのだし、そのくらい考えて実行することは可能だろう。
できる限りにこやかにそう提案すると、「んー」と冴えない返事。
こちらの言うことなど聞く気がないかのような、冴えない返事。
カチン、と怒りのスイッチが入った。
「ちょっと! 聞いてるの? ねぇ! 分かった⁉︎」
「んー」
この子は「んー」しか言えなくなったのかしら。そう心配すべきだったのかもしれないが、そんな余裕はなかった。
怒りのスイッチを、切るきっかけがなかった。
私はグチグチと、ガミガミと、言葉を投げつけ続けた。
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