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「今日はこれでおしまいにしましょう」
私は薄い本を閉じた。虹を思わせるパステルカラーの表紙の内側には瑞々しい詩がうたわれていた。
「もうすぐ正次さんがここへ来るのよ」
窓の外に目を向けて、彼女がささやいた。
「梅が咲く頃に迎えに来ますって。ほら、もう蕾があんなに膨らんでいるでしょう」
きらきらと光がさす南向きの庭には、枝振りの良い梅の木が立ち、たしかに今にもほころびそうな気配だった。
「一日ごとに暖かくなる。早く咲いてほしいわ」
彼女は日差しのような輝く目で窓を眺めていた。そして細い指で私の手を思いがけない強さで握る。
「あの人が来たらね、私今度こそ言おうと思っているの」
「なにを」
ふふっと少女の瞳をした彼女は笑った。
「お慕いしていますって」
ばらのように頬を染め、彼女は肩を覆っていたストールで顔を隠した。
半分ほど覆いを下げ、また日差しの元へ目を向ける。
「あの人はなんていうでしょう」
「きっと嬉しいお返事がありますよ」
私は心からそう答えた。
「佐江さん。そろそろおやつにしましょうか」
年配の介護士が膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
彼女の瞳から少女らしさが消え、代わりに目尻に深く皺を刻む笑顔を向けた。
「そうね。もうそんな時間」
介護士の女性が私に目配せし、車椅子を押して窓際から離れる。
私のボランティアの時間が終わった。
彼女は毎年春が近づくと正次さんを待ち、梅が咲くのを待つ。
正次さんは約束には遅れたものの、彼女をちゃんと迎えに来た。彼女がお慕いしていると言う前に、結婚を申し込んだのだそうだ。春でない季節に、私は彼女からそう聞いていた。
けれど彼女はこの季節になると、早春の輝いていた想いに誘われる。
大学を卒業し、ボランティアへ行くこともなくなった。
もうずいぶん前のことだ。
梅の花がほころぶ頃になると、あのうつくしい少女の瞳を思い出す。
きらきらとしたまなざしが、私の心を澄ませるのだ。
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