変わってしまった父のこと

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変わってしまった父のこと

 一度手をあげてしまったら、もう後戻りできなくなるんです。  私の父がまさにそんな感じで、仕事と体調不良でイライラしていたときに、部活で帰りがすっかり遅くなった私に対し「男遊びしてたんだろ!」と決めつけ、父の日にプレゼントしたマグカップを投げつけられました。  マグカップは床に落ちて、派手な音をさせて割れてしまいました。  音ではっと我に返ったようでしたが、父は私の方を見ようとしませんでした。それどころか「お、お前が悪いんだ」と言い捨てて部屋にこもってしまったんです。  やってしまったことが、どれほど取り返しがつかないか、気付いたんだと思います。  でも昔から、父は謝ることや頭を下げることが苦手で、とくに家族に対しては責任をすり替えることばかりしていましたから、逃げるしかなかったのでしょう。 自分がしでかした、とりかえしがつかない現実には向き合いたくない、そんな狡さが行動にあらわれたんだと思います。  私はというと、マグカップの破片がこめかみに刺さり、血がダラダラと流れてびっくりしました。  母が慌てて救急車を呼ぼうとしましたが、部屋から「救急車なんか大袈裟だ!呼んだら追い返すからな!」と部屋にこもってしまった父が怒声をはりあげたため、母が運転する車で、地元にある総合病院の夜間診療へ行きました。  治療中は「マグカップを持ったまま転んだ」と嘘をつきましたが、帰りにそっと、看護師さんからシェルターや相談窓口のリーフレットを渡されました。  スクールバッグに入れて、いつでも連絡できるようにしなさいと、言われながら。  やっぱり、表情に出ていたのかもしれません。騙せませんよね、いろんな患者さんを見てきた相手なんですから。  怪我した箇所が頭部だったので、レントゲンなどの検査もちゃんとしましたし、何回か外来に通って変化がないか確かめられたりもしました。  何もかも正常で、日常生活も普通に過ごすことができたことは不幸中の幸いです。  定期的に通って欲しいと言われ、通院していた私に対して「嫌味たらしいことをして、ガキのくせに生意気だ、当てつけのつもりか」と父は罪悪感を私に対して八つ当たりすることで、塗り替えようとしました。  意地で通うかという選択肢も考えましたが、靴を水浸しにされたり、自転車のタイヤに釘を突き刺されたりと、父が私のいない間に様々な嫌がらせを始めるようになったので、母と相談してう通院もやめたんです。  痛みもないので、と病院に伝えてしぶしぶ了解してもらいました。  あれから父はものを投げたり、叩いたりはしませんが、怒鳴ったり壁を叩いたり、気に食わないと部屋に入ってわざと荒らして「男がいないか確かめただけだ。今のガキは隠すことだけ一人前だからな」と言って、嫌な嗤いを浮かべ、会社も休みがちになっていったんです。  私や母が怯えるさまに優越感を覚えたらしく、父は自分がストレスの捌け口を見つけた嬉しさに任せて、だんだんエスカレートしていきました。  夜中にわざと大声を出したり、明け方に掃除機をかけたりして、睡眠を邪魔する行動も始まりました。冷蔵庫にあるものを食べ尽くして、真夜中にコンビニまで買いに行かせたり......あり得ないでしょう?  それでも、私と母は病院でもらったリーフレットを参考に準備をしていました。こそこそと、少しずつ。バレないように。  学校で眠っている時間が増えて、それでも来年度から受験生だからって勉強しなくちゃって無理をするようになってからでしょうか。  父の顔が、というか姿が、まるっきり違うものに見えるようになってしまったんです。  なんというか、その……人間の姿をしていないというか……。  顔も目鼻がバラバラにくっついていて、お正月の遊びで福笑いってあるじゃないですか?あんな感じで、目が口の下にあったり、鼻が逆さまになっていたりして、しょっちゅう位置が変わるんです。  福笑いはいかにもおめでたそうな、オカメの顔をしていますが父のそれはまるっきり違い、むしろ禍々しく不気味でした。  口の中には鋭い牙が生えているし、目はいつも充血してつり上がっていて、まるで鬼みたいにギョロギョロとしていました。  顔だけではなく、身体も人間の姿をとどめなくなっていきました。  なんだか、芋虫みたいなぶるぶるとした胴体にムカデみたいな感じで、両脇には人間の手が無数についていて、それらがうねうね、もごもご蠢いて私の腕をつねったり、ひっかいたりするんです。  胴体は赤紫色をしていて、いつも生ゴミのような臭いを放っていました。    言葉もよくわからない、低い唸り声みたいになって、理解できないから余計に父だったモノが暴れ、這い回るたびにモノが壊れるようになり、母はそのたびに泣きながら片付けていました。  今は逃げることができて、本当によかったとホッとしています。  変なモノが見えるからと、シェルターへ入る前に病院で検査しましたが、やはり異常はどこにも見つかりませんでした。  父はもう、もとに戻れないんでしょうね。  何度か電話もあったそうですが、シェルターを運営するかたの顧問弁護士さんを通しています。直接には、やりとりしていません。  ようやく、静けさを取り戻せたのですから。  残念ですけれど、限界だったので。  母も私も、もうあれは父ではない、赤の他人だと思うしかないんです。  すぐには無理です、だって優しかった父との思い出があるだけに、辛いことでもありますから。  最近になって、父が入院したことも、母から聞かされました。  私たちが出て行ってからは会社を辞めて酒浸りになり、調子を崩して、行き倒れになっているところを搬送されて、搬送先の病院で検査したところ病気が見つかったそうです。  でも、手の施しようがないと言われたみたいで......無理もないですよね、酒浸りで過ごしていたんですから。  薬でおさえていましが、全身がむくんで、皮膚が赤紫に腫れて、ひどく痛むそうです。  弁護士さんからは会いたいという要請があったと聞きましたが、母も私も拒否しました。  もう、かき乱されたくないので。  私が目の当たりにした、変わり果てた父の姿はきっと、前触れだったのでしょうね。  現在、両親の離婚と父親の接近禁止が決まったFさんは、奨学金で進学するため、シェルターから母親とともに引っ越したマンショで勉学に励んでいるという。  静けさが満ちる閑静な住宅街であるため、父親と暮らしていた時よりも集中できて、成績も回復したそうだ。
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