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「どうだ、聞こえなかったろ?」
「いや、何がだよ……。俺、トイレ行ってくるわ」
匂坂がゴミをまとめて席を立とうとするのを、安食は「まあ待て」と静止した。
「よく聞いていてくれ」
安食はとんかつの最後の一切れを大事そうに口に運び入れた。うまそうに食いやがって、と内心毒づきながら腰を下ろしたところで、匂坂はある違和感を覚えた。
「……食う音が、しない?」
そう、安食の整った並びの歯がとんかつを切断するとき、揚げたての衣を噛み裂くあの音が、聞こえなかったのである。
いくら学食が騒々しいからといって、目の前の大食らいが発する音はだいたい聞こえるものだ。
だが安食はあごの筋肉をフル稼働させているのに、咀嚼音がまったく聞こえない。とんかつを完全に飲み込んだ安食が、大仕事をやりとげた顔をしている。
「そう、俺は、まったく音を立てないで食えるようになった」
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