2.同期

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2.同期

   新宿区の私立高校で、生徒が不審死を遂げた。  四谷署からの臨場要請により、強行犯ではなく、殺人犯係の自分達が出張ることとなった。逸彦は首を傾げつつ、先乗りしている部下と合流すべく覆面パトカーに乗った。    新宿区愛住町にある文慧学園。  中・高一貫校で、都内でも有数の学力を誇る学園であり、名門大学への推薦入学も確約されているだけに人気も高い。卒業生に有名人が多いとかで、さぞ寄付も集まるのであろうことを知らしめる、最新鋭だが随所に和風を取り入れている巨大な校舎。  靴にビニールカバーをかけ、昇降口から中へ入ると、随所に陽の光が降り注いでいる。吹き抜けが多く、木の温もりを感じる梁の上には、ガラス張りの天井の向こうに青空が見える。 「気持ちのいい校舎だな」  逸彦の素直な感想に、迎えに出てきた7係の部下達が一斉にはぁ? と呆れ声を出した。 「やけに静かだけど、生徒達は」  つい半年前まで交番勤務だった26歳の新人・海老沢修一が、タブレットを片手に質問に答えた。初めは答えが返ってくるまで恐ろしく時間がかかったが、今では質問の内容を粗方想定して答えを用意すべく、誰よりも早く現場入りして状況把握に努めるという、中々の努力家でもある。 「今日は大半がテスト休みです」 「大半?」 「テスト期間に体調不良などで受けられなかった生徒が数人、今日受けていまして、職員室に待機してもらっています。その中に、今回の第一発見者もいます。四谷署の少年課が応援で臨場してますので、今、聞き取りをお願いしているところです」 「四谷署、へぇん、早いね。ま、餅は餅屋か。で、現場は」  海老沢に変わり、年嵩の刑事が逸彦の半歩前に出た。 「深海主任、あちらです」  巡査部長だが、既に定年が見え始めている刑事・菅八郎(かんはちろう)が、柔和な顔で逸彦を誘った。 「しかし凄い学校ですね。薄給のウチなんか二人共公立でしたから、便所なんて酷いもんでしたがね」 「菅八(カンパチ)さん、俺も高校まではガッツリ公立ですよ」 「あれ、そうでしたっけ。てっきり主任はこんな風な一貫校でも出たのかと」  おいおい、と笑わぬ目で菅をいなし、逸彦は注意深く辺りを見渡しながら進んだ。長い廊下。並ぶ教室は高等部一年生のクラス。理系2クラスと文系1クラス、それに普通科クラスに分かれているのだという。4クラス分通り過ぎたところで、菅が立ち止まった。  一年生の男子トイレ。とはいえ、郊外の出来立てのスーパーのような広く綺麗なトイレである。アイランド方式の洗面台エリアを囲むように個室が壁際に並び、コの字に洗面台を取り囲んでいる。小便器はなく、全部が個室になっている。今流行りの、ジェンダーに配慮した、というやつかと、逸彦は唯一空いている壁面に並ぶ鏡を見ながら、ちょっと前髪を直した。 「おまえの髪はいつも綺麗だな」  そんなキザな言葉を事も無げに口にする知己といえば一人しかいなかった。 「久紀…あれ、ここおまえん()か?そもそもマル暴に用はない」 「ところがね、先月から四谷署の生活安全課配属なんで」 「はぁ? 」 「課長があの尾道陽子(おのみちようこ)姐さんだよ。下の子が大学に入って手が離れたからって、鳴り物入りでの再登板だって。で、お声掛かりで」 「畑違いも良いところだろう……色男枠か、あの万年はちゅじょう熟女」 「噛んでる噛んでる」  霧生久紀は、逸彦とは高校の同級であり、警視庁入庁同期であり、警視庁管轄区内抱かれたい男No.1の座を決して明け渡さぬ男であった。 「ということで、うちの庭だから、ちゃんと仁義切ってね、逸彦クン」  185センチはあろうかという長身が、靴の踵を頑張って何とか175センチという逸彦の後頭部を見下ろした。  おい、と振り向くと、ちょうど入ってきた鑑識員に霧生のその四角い肩が当たり、おっ、と言いながら逸彦を挟むように両手を壁についた。 「なんで壁ドン?」 「照れるなよ」  この新宿野郎が! と押しのけると、久紀が逸彦の手を取って奥の個室へと引っ張った。立ち止まった先には、2人の鑑識が証拠採取している向こうに、蓋の閉まった便座の上で泡を吹いて死んでいる男子学生の死体があった。両壁には爪で掻きむしったような跡があり、壁に頭を擡げて顎を上に向けている姿は、断末魔の惨さを物語っている。 「検視官の見解は」 「モノは判らんが、薬物で間違いないと。強行犯が出張るより、お前んとこに関わってもらって、ウチがルートや背後を洗った方が動きやすい」 「成る程な。オーバードーズとか自爆とは限らないと、お前は思ってるのか」 「この学校は全くのノーマークだった。こっちが把握しているルートに名前が上がったこともない。それだけに、殺人の可能性は捨てられない」 「ま、強行犯の連中は根こそぎ構わずひっくり返すからな」 「逸彦クンなら、未成年の機微が解るもんねー、悩めるオジサン」 「同い年が言うと、傷の舐め合い以外の何ものでもない」  丁々発止を繰り広げつつ、2人は現場を丹念に見回った後、並んで被害者に手を合わせてトイレから出た。 「主任」  すぐに、海老沢がタブレットパソコンを手に走り寄ってきた。 「被害者はここの高等部普通科の1年生で戸倉想太、16歳。普通科ってのは、まだ進路を決めていない子達のクラスで、この学校では最も偏差値が低いんだそうです」 「理系、文系、で普通科。エビーは理系? 」 「え、まぁ……」  何の意図かわからず流石にキョトンと立ち尽くす海老沢を押しのけ、もう一人の部下が肩を入れる勢いで割り込んできた。 「戸倉君は成績こそ中庸ですが、特に素行に問題はなく、学校職員の中で名前が挙がるような事もなかったようです」 「中庸ってのが、ミソだな」 「はぁ……ちなみに、今日の追試のメンバーには入っていません」 「へえ……ちゃんと正規の試験を受けてたって事」 「はい」  更に今一人、階上から足音を立てて駆け下りてきた。 「主任、屋上に来てください」 「屋上? わかった。エビ、保護者には? 」 「連絡済みです」 「で、先生に今のところ一人も会っていないけど」  その独り言を拾うようにして、階段から駆け下りてきた刑事が答えた。 「屋上に揃っています」  ということは、学校あげての厄介ごとが屋上にある、か。 「稲田さん、鑑識は行ってんの? 」 「検視が終わったところです」 「わかった、ゲソコン(下足痕跡)消えないように人員整理」 「できてます」  逸彦は稲田を見上げて親指を立てた。 「仕事早い」  稲田健介(いなだけんすけ)42歳、昨年捜査一課に配属されたばかりの遅咲きの新人と呼ばれているが、目の配りが細かく、何かと重宝な年上の部下である。  カシミアのコートの上から腰に手を回されたまま、逸彦は久紀と共に階段を上がった。規制線のテープを貼る女子署員の視線が痛い。しかし、久紀はどこ吹く風どころか、わざと見せつけているかのようである。 「おまえなぁ、俺をスケープゴートにするなよな」 「(わり)ぃ。昨日も署長に姪っ子と見合いしろって言われて逃げるの必死だったんだよ」 「だからって、俺をゲイネタの相手に勝手に設定するな。俺にはな、多岐絵という……」 「はいはい、俺だって同い年のオッサンに壁ドンする趣味なんか無えわ」 「どうだか…」  とそこまで言って屋上に出た途端、逸彦は言葉を止めた。 「おいおい……」  そこには、フェンスに寄りかかるようにして座り込み、顎を上に向けて事切れている女生徒の姿があった。スカートははだけ、広がった足の奥が霰もなく晒されている。ブラウスもはだけ、下着がずれていることからも、ここで何者かと行為に及んでいたであろうことは容易に察しがついた。 「使用済みの避妊具に、これ……」  手袋を嵌めた手で、稲田が指をさしたのは、錠剤の破片のようなものだった。久紀が背後で舌打ちをするのが聞こえた。 「ここ数ヶ月で急激に出回り、歌舞伎町にたむろするガキ共の間で流行り出したブツだ。簡単に手に入れられる値段だが、恐ろしく不純物だらけでな」 「成田組か」 「いや、ヤクザはこんなチンケなヤクは扱わないし、成田はともかく、坂田はハナからヤクはやらない。半グレ共も、これは粗悪すぎて手を出していない」 「出所不明か」 「今のところな。売り手の正体が掴みきれず、新宿東署じゃ潜入も視野に入れている程だ。いや、俺達の常識を、一度捨てなきゃ見えないかもな」  鑑識作業が終わり、袋に入れられた錠剤の破片を、久紀が太陽に翳した。 「作り方が素人臭いんだ。ヤクザの手じゃねぇんだよな……鑑識さん、この錠剤の型、多分100均か何かじゃないかと思うんだけど、調べられるかな」 「やってみます」  久紀から袋を受け取り、鑑識員は頷いた。 「こっちの第一発見者は、先生か……ねぇ、稲田さん」  屋上の端では、おそらく先生達だろう、こちらを見ながら背を丸める様にして集まっている。その中にいた稲田が、呼ばれるとすぐに駆けてきた。 「第一発見者は、あそこにいる連中? 」 「はい、今日の試験管担当の3人が、午前中の追試が終わって休憩がてらここに来て見つけたそうです」 「そう。硬直の具合から見ても、どちらも午前中に亡くなった、とは思えない。少なくとも昨日の夕方とか、夜とか……」  逸彦が鑑識に目を向けると、その通りとばかりに頷いた。 「司法解剖次第ですが、夜は越していると思います」 「だよね……」  今日は晩秋にしては冷える。雲ひとつない青空だが、北風が容赦なく体温を奪う。逸彦はこんなカシミアでもなければ耐えられないし、かと言ってダウンなど着込んでブクブクと動きにくくなるのも耐えられない。第一、ダウンで着膨れなど、逸彦の美学が許さない。  そういえば、久紀はスーツだけで上着を着ていない。 「寒くないか」 「中に着ているぞ、ほら」  ジャケットを広げると、確かに中にダウンのベストを着込んでいた。 「それ、目立たなくて良いな」 「薄いがバカにできないぜ、これだけで暖かいし、動きやすい」 「ふうん……女子生徒の上着はなし、か。昨日の昼間は確かに暖かかったけど、薄着で居られるほどじゃなかったよな」  と言いながら、逸彦は女生徒の姿を見た。はだけたブラウスの下はブラジャーだけで、スカートの下もいわゆる生足で、防寒着の類を身につけている様子がない。 「さっきの男子学生も、指定のワイシャツにズボンだけで、ベストは着てなかったな。今時の子って、ベストは必須だろ。それかどっかに転がってるか」  その問いに、久紀は腕を組んで俯いた。 「多分、ここで事に耽っていた相手はトイレのあの子だろう、ま、鑑定待ちだけどな。今のところ、ロッカーや教室に彼らの持ち物と思われるものはない」 「マジか…まさか常習?」 「可能性は高いな」  薬物で興奮状態になると、どんなに気温が低くても、感覚が狂って服を着るのが暑苦しく感じる事があるという。中には布が肌に触れるだけでもストレスになって裸になりたがる常習者もいるとか。このドラッグの効果が果たしてどうなのかはわからないが、興奮状態を作り出すと言う点で考えれば、この異様な薄着も、中毒症状に当てはまるといって良いだろう。 「そうなると、この学校中、汚染がある程度広がっていると見るべきだろう」 「今までにこのドラッグが原因と思われる死者は」 「ウチの管内で10代ばかり3人、新宿東署で4人」 「7人もか」  こんなキレイな空を見上げながら、断末魔の苦しみの中で死んでいかなくてはならなかった少女の無念を思い、逸彦は鑑識が用意してきたブルーシートを広げ、少女の下半身を隠してやった。どうせ検視で裸に剥かれるが、せめてそれまでは、衆目には晒さずにおいてやりたい。 「逸彦、情報、共有できるか」 「ああ、明日の夜、どうだ」 「わかった。いつもの店で」  女性刑事がギラギラした目で見つめているのを知りながら、久紀は逸彦の耳たぶを噛むような素振りで、わざわざ蕩けるような声で囁いていった。 「ああっ、もう! 」  去っていった後姿を睨みながら、逸彦は残響の燻る耳を、悪魔払いの様に手でパタパタと扇ぎ続けた。      
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