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6 .兆し
逸彦は地下鉄の駅へと急ぎ、足をもつれさせるようにして階段を駆け下りた。途中で福島管理官から電話が入り、事件の報告を促された。報告できるかいっ、と返す刀で、サイバー班ののんびりした解析を愚痴った。
「今夜には出来上がるそうよ。その様子だと急がせたほうがいいわね」
「ですっ、まずは急ぎ学校と学長宅のガサ状、データ確認出来次第、逮捕状願います」
通話を切って改札を走り抜け、エスカレーターで更に地下へと下りながら、逸彦は霧生久紀に電話をかけた。
「万引きだ。想太か、由利香、他、文慧学園の連中で万引きの補導歴がないか、大至急調べてくれ」
「もう当たっている。ウチには目ぼしい記録がなかった。今、新宿東署に照会してるから、もうすぐ答えが出る」
「早いな」
「由利香の同級生が、ラインのデータをやっと見せてくれた。誰とまでは判らんが、万引きを目撃して、先生に相談した方がいいか悩んでいる風な文面だ」
「で、その誰かには、言ったのか」
「いや。見せてくれた生徒が言うには、口に出したらヤバイ奴だから、このラインもすぐに消してと、後で言われていたのをすっかり忘れていたらしい」
「忘れてんじゃねぇよ、ったく……」
「凄まじい量のやりとりをするんだよ、奴らは。だから、そんな相談のデータも、いつ頃だったか探し出すのに時間がかかるんだ。第一、表面上のやり取りばかりで、記憶に残るものなんて殆どありはしない」
電話口で、つくづくだとばかりに久紀が溜息をついた時、電車が滑り込んできた。
「取り敢えず西新宿の丸星スーパーに行ってみる。文慧学園の生徒の万引きが常習化しているような話を拾った」
「わかった、俺も行く。東署には俺から仁義切っとくから」
「よろしく」
尻尾はまだ見えない。見えそうで見えない。だが、ここで目を曇らせてダミーを掴んでは元も子もない。焦るな、焦るな、思い込みを捨てろ……。
西武新宿駅から新宿大ガードを潜り、すぐの交差点を大久保方向に折れると、地下に大江戸線が走っている小瀧橋通りに出る。今は高層マンションも立っているが、通り沿いの商店街には微かに昭和臭も漂う。その並び、交差点を折れて三件目の雑居ビルの一階に、間口は狭いが奥行きのあるスーパー丸星はあった。
手書きのポップが活気に一役買い、店内はわりと混み合っている。防犯カメラは相当数セットされているが、これだけごちゃごちゃしていれば死角も当然多くなる。だが、多岐絵の証言通り、2台しかないセルフレジの真上には、しっかりカメラが鎮座している。通常レジにもだ。これだけの角度で確認できれば、誤認はまず考えられないと思うのだが……。
店員に警察手帳を広げてIDを示すと、すぐに事務所に案内された。
奥まった羽扉の向こうには、在庫が鬱蒼と積まれており、少しゴミの臭いがする。その雑多な倉庫の隅に、コンテナがあり、入り口が開いていた。その2畳ほどの空間が、事務所になっていた。
足がガタピシ言いそうな長机を挟み、店のロゴが入ったエプロンをかけた中年男と、スーツを着たいかにも警官らしい女性が、向き合って資料を広げていた。名簿だ。
「警視庁の深海です」
そう名乗ると、女性警官はすぐに立ち上がって折り目正しく腰を折った。
「新宿東署強行犯係天沼です。少年係が別件で出払っていまして、私が臨場致しました。先年までは生安課でしたので、少年案件にも通じています」
それは心強い、と頷き、逸彦は立ち上がらずに不貞腐れたように背もたれに寄りかかったままの男に、どうも、と微笑んだ。
「今日、誤認があったそうで。店長さん? 」
「いえ、副店長の真島です。いやねぇ、すんごい剣幕で怒鳴られましてね、何だか、習い事の先生とか何とか、もう十分謝ったんですけど」
「対応されたのはあなたでしたか」
「ええ。まだ何か」
「いえね、文慧学園の生徒がよく万引きをすると貴方が仰っていたと伺って。それは大変だなぁと、お話を伺いに来たんですよ」
「今頃か!! 何度も相談してるんだよ、こっちは!! 万引きがどれ程ウチのような小さな会社を追い詰めるか知ってるか、アンタ。何とかしてくれって、学園の学長にもそれこそ東署のアンタんとこにも、何度も訴えてんだよ」
真島は唾を飛ばしながら天沼に噛み付いた。確かに、それほど度々やられていたら、堪らないだろう。
「防犯カメラがこれだけあれば、十分証拠が上がるでしょう」
「それがね、奴らは巧妙なんだよ。主犯が万引きして、格下が囮になるんだ。囮はそれらしい怪しい振る舞いをしてこっちを引きつける。わざとカメラに映るようにね。で、主犯は死角を使って盗っていくんだよ。それも悪知恵の働きそうな、でも万引きなんかできませんってな整った顔立ちして……あいつが主犯に間違いない」
逸彦と天沼が自分より年下と見るや、真島は敬語を一切使わず、一連の経過を捲し立てた。聞きながら、天沼がそっと顔写真を示した。
「ウチに記録が残っていた万引きの補導歴がある学生です。文慧学園ですと、この3人です。うち2人は既に卒業しているはずです」
逸彦は思わず写真を引っ手繰った。
間違いない、風体は変わっているが、移動クラブでワンボックスに乗り込もうとしていた2人だ、矢口文昭と藤間雄星。そして戸倉想太。
「他にもいるわけだな。で、戸倉が補導された時の防犯カメラの映像は」
天沼はすぐにタブレットを取り出した。
「提出していただいています。あ、これです……」
画像の荒い動画だが、確かに想太らしき学生が、制服姿で入ってくるなり、わざとらしくキョロキョロし始めている。そして大仰にベストの中に何かを隠すような素振りを見せている後ろに、自動ドアが写っている。
「ストップ」
その自動ドアに、もう1人、男子学生が映り込んでいた。
「誰だ……あ、ちょっと拡大できる」
逸彦が指差したのは、自動ドアの向こう、道路側である。心配そうに覗き込む女子学生の姿があった。
「これ、由利香、か……」
由利香は、想太が万引きグループの1人であることを知るばかりか、主犯の顔も見ていることになる。
「そういうことか……天沼くん、このガラスに写り込んでいる学生の顔、アップにして画像を整えられる? 」
「これよりは幾分良くなるはずです」
「それ、俺の携帯に送って。君が来てくれて良かった、有難う」
「こち、こちらこそ、深海警部補とご一緒できて、光栄です!! 」
辞去の素振りを見せる逸彦に、天沼は立ち上がり、上気した顔で敬礼をした。ちょっとキザを装ってニッコリ微笑んでやると、卒倒しそうなほどに仰け反っていた。
逸彦は副店長に型通りの礼を言い、スーパーから飛び出したところで久紀とぶつかった。
「おい、学校行くぞ」
「お、おう」
新宿のガードを潜りながら、逸彦は矢継ぎ早に捜査員に連絡をした。
「菅さん、美術教師に見て欲しい画像があります、もうすぐ送るので、奴に接触して、すぐ学校に連れてきて」
信号で止まるたびに、逸彦は電話をかけ直した。
「エビ、今から学長を直撃しろ、稲田さんもそっちに行ってもらう……自宅だ、自宅。そっちで調べろよ! 捜索令状が届くまで、とにかくガラ押さえて、ガサの応援部隊と入れ替わりにこっちに連れてこい!! 」
「どした」
「自宅までの行き方教えろってよ。アホか」
「ナウなヤングってか」
「石器時代の話してんじゃねぇよ」
久紀は久紀で、矢継ぎ早に鳴るスマホを手にしたまま、耳から離せずにいる。そして立ち止まると、画面に送られてきた画像を逸彦に見せた。
ちょうど逸彦のスマホにも、天沼から画像が送られてきたところであった。
画質は悪いが、スーパーの自動ドアに映り込んでいた人物は、久紀のスマホに送られてきた生徒資料の顔写真と同一人物だった。副店長も、こいつが主犯だと思っていた奴と同一だと証言した、と天沼がメッセージを添えていた。
「文慧学園学長・佐藤雅文の息子、秋雅だ」
「やはりな。久紀達も、見当つけてたのか」
「何度も何度も丹念に丹念に聞き取りをしたからな。少しずつ、ガキ共が情報を話してくれるようになった。そこまで信頼関係築くのも大変だったが、何より口が固すぎるのが妙な気がしてな。学校の職員の家族関係、知己、全部洗い直していたところだった」
「職権行使で口止めでもしていたのか、クズだな」
「親子して、だ。矢口も藤間も万引き補導で一発アウトの筈が、息子の下僕になる代わりに卒業を担保してやったんだ。ただな……」
「状況証拠か。由利香の爪に皮膚片でも残っていればなぁ……あったのは想太の物だけ。手袋でも使っていたのか、掌痕では大きさしか分からず決め手に欠けるし、秋雅に繋がるものが何もない」
「由利香のスマホ、何としても欲しいな」
「ああ……だから早い所データ復元せえっちゅーねん」
明治通りと靖国通りが交差する新宿五丁目交差点まで来たところで、2人は息を整えた。
「学校、閉まってるよな」
「ま、フツーならな。警備会社にはもう通してあるから入れる」
「流石深海警部補どの、やることに抜かりがない」
久紀は逸彦の顔を覗き込んだ。これは確実に勝機がある時の顔だ。鼻の小袋をキュッと締めて、口の端を微かに上げ光を放つ目で既に答えを捉えている。
再び、逸彦のスマホが鳴った。
「来た! 」
それは、想太と由利香が亡くなった時間帯の防犯カメラの映像であった。
施錠して出ていく美術教師が、出口で後ろを振り向いている。
「話しているな、誰かと」
「中にいるんだよ」
確かに厳重な防犯装置だが、かと言って構内中に赤外線が張り巡らせていたり、動きに反応するカメラが仕込まれているわけではない。単に出入り口が施錠され、鍵を持たずに解錠しようとした時だけ鳴るシステムなのだという。
「ハリボテの防犯システムか」
「メッチャ高いんだと、それ以上になると。名簿やら貴重な資料が置いてある職員室と学長室だけは解錠すると反応するようにセットしてあるらしいが、普通のクラスルームや屋上は、ノーマークと言って良いんだそうだ」
「早く言えって」
「だぁかぁらぁ」
と、一連の説明を逸彦はわざと早口で捲くし立てた。
久紀は無視してさっさと横断歩道を渡っていった。
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