歩いて揺られて未の刻

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歩いて揺られて未の刻

 駅に着けばまた目的地も決めずに電車に乗る。こういう休日に雪治が選ぶのは大抵が各駅停車の電車だ。その方が空いているし、ゆったりと旅のような気持ちで乗れるところが彼のお気に入りだ。  雪治が席に座って小説を読んでいると、そのうち視線を感じる。顔を上げると大学生らしき私服の女子たちが小さく黄色い声を上げた。雪治は決して自分のことを世界で最もイケていると思うようなナルシシストではないが、いかんせんモテない時期のない人生だった。そのため、こうして女性たちにきゃあきゃあ言われた際には、アイドルのファンサービスのようにさらりと手を振ったり笑いかけたりする。先ほどの女子大生のグループに透ける女子大生が混ざっていても敵意がないから気にしない。  電車に揺られてそれなりに時間が経った頃、雪治は繁華街のある駅で降りた。車内でスマホを見ていた時、この駅から少し歩いたところにある着物屋の入荷情報を見たからだ。なんでも今朝の入荷で変わり種の反物が増えたらしい。雪治はわくわくしているのを隠しもせず少年のような期待に満ちた目で着物屋に向かった。  「こんにちは」  「ゆっきー!こんにちは!ちょっと久々じゃないですかー?」  「こんにちはー、うわー久々のゆっきーだー」  顔を出した雪治を迎え入れたのは仲のいい店員と店長だ。店長の方は仲が良すぎて最早タメ口になっているが、雪治もしばしばタメ口になるのでお互い様である。ここまで仲がいいのは雪治がここでよく着物を買うというのもあるが、それ以上に雪治が頻繁に遊びに来ているせいだ。  この店では喋りに来るだけでも歓迎されるし、そうして仲良くなると頻繁に買う客でなくとも好きそうな着物の入荷時に取り置いてくれていることがある。まぁ、雪治の場合は過去の購入金額もなかなかだが。  「来ると思ってたよ、ゆっきー」  取り置きしといた、と店長が店の奥から取り出したのは草木染めの大島紬が3つ。まず広げた深緑の反物には直径10cmほどの風神雷神が描かれている。次に茶色の反物を広げれば猫が散歩している姿が描かれている。最後に広げた、白大島より少し生成りに近い色合いの反物には大輪の薔薇が咲いていた。  「え、そっちのバラ!?」  「そう!珍しいでしょ?大島でバラと言えば篭のことだしね」  「うわー、どれも面白いなぁ」  珍しい柄ばかりで楽しそうに笑う雪治が反物に触れ、動きを止める。顔を近づけ反物をよく見てまた触る。それから店長と店員を見ると、ふたりはにやりと笑って頷いた。  「真綿じゃん」  「さすが、気づいちゃった?」  「もう作れる工房ないと思ってた」  「復活させた方がいるんですよ」  「天才」  製法が途絶えたものと思っていた真綿の大島紬を目にして雪治が目を輝かせる。ぜひとも欲しい、と値札を見れば当然なかなか簡単には手が出ない値段。うぅん。雪治が思わず唸って頭を抱えた。  「買えてひとつだなぁ」  「むしろ全部買う気なことに驚きですけども」  「全部買われるとさすがに年上のプライドずたずただからひとつにして欲しいまであるよ」  残念がる雪治に店員がツッコミを入れ、店長がぼやく。それはそうだ、みっつ買うと余裕で7桁を超えるのだから。とりあえず試着してみよう、とまずは風神雷神から全身鏡の前で雪治の体に当ててみる。  「強そうなのは風神雷神だよね。猫も可愛いし……薔薇はセクシーだね」  「風神雷神を着てる剣やってる人やばいね、かっこいいけど」  「なんか俺が着るとカタギじゃなさそうな気がするんだ」  「えー、私は好きですけどねー」  店員は残念そうだが風神雷神は却下されたようだ。次に猫の柄のものを雪治に当ててみると、緩やかな天然パーマと相まってなんとも可愛らしい雰囲気になる。  「なんかあざといなぁ」  「茶色だからそうでもないかと思ったけど……ゆっきー若いし顔がいいからなぁ……」  「こういう可愛いのっていっそおじさんが着たほうが映えますよね」  「私は可愛いゆっきーも好きですけどねー」  眼福とばかりに楽しげな様子の店員を尻目に猫の柄も却下する。となると残るは薔薇である。最も大きい薔薇が裾や袖ではなくあえて胸元に来るように雪治の体に反物を当ててみると、女性向け漫画のイケメンキャラクターの登場シーンのようだが、面白くなって終わりではなくしっかり映えているのだから雪治の顔立ちの良さがわかる。  「これでギャグにならない現実の男がいるんだね……」  「え?面白いじゃないですか。面白いからこれにしよ!」  「色気だだ漏れゆっきーで好きです」  「いやひとりだけさっきから好きしか言ってなくない?」  「あ、バレました?」  「バレないわけないから」  笑いながら店員が伝票を作りに行き、広げた反物を店長が丸めていく。いつ見ても着物屋さんが反物を丸める速さと綺麗さは見事だな、と雪治は目を細める。  店員が持ってきた伝票で金額とその内訳、仕立て上がりの日付を確認し、サインをする。思いつきで動いている休日の雪治が現金で払えるほどの金額を持っているはずもなく、クレジットカードを取り出す。最初は一括で払おうとしたが急な出費がないとも限らない。念のため2回払にしてもらい、雪治は幸せに満ちた顔で着物屋を後にした。彼を見送った店員と店長は雪治の去っていった方を見つめたまま呟く。  「ゆっきーっていつも3回までで支払うよね」  「先生みたいなものって言ってたけど何してるんでしょうね」  「こわいわぁ、最近の若者」
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