貧乏について

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貧乏について

酒がぬるくなっている。 飲みすぎた次の日はいつもこうだ。頭は痛いし吐き気もする。 この酒は捨てよう。また金を無駄にしてしまった。 これだから貧乏なんだ。 貧乏か。 いや貧乏な訳がないんだ。親からの仕送りで一人暮らしが出来ている時点で、その単語は適切じゃないな。 月8万円。これだけの仕送りをしてくれる親には感謝しかない。家賃、水道代、光熱費を払って、使える食費は3万円弱。 食費に関しては、一般的には少ないんだろうが、働いてもいない自分には贅沢すぎる。酒代が大きすぎる負担になっているが。 大学を中退して、もう2年になるのか。 それからずっと、親のすねを齧って生きている。 なぜ親はこんな自分に金を出すんだろう。価値なんかとうに擦り切れているというのに。 僕が小さい頃、母は喧しく貧乏だと騒ぎ立てていた。 それが嘘だと気づいたのは、大学生になって一人暮らしを始めてからだ。 いや、嘘をついていたんじゃないんだろう。母にとって僕の家庭は、本当に貧乏だったんだと思う。 母はとにかく金を使うのが下手だった。 別に豪遊をする訳ではなかった。ただ、節約という言葉を知らなかったのだと思う。 電気は付けっぱなしだし、晩飯は毎回捨てるほど多い。安い服ばかり買って、そのほとんどを録に着ないまま、数年後に捨ててしまう。 まあ、至って普通の母親だ。そして、至って普通の家庭だった。 だけど僕は、貧乏という言葉を猛烈に信じ込んでしまった。 欲しいものは沢山あった。けれど、それをねだってはいけないのだと、物心ついた時には感じていた。 心が貧乏になるっていうのは、こういうことなのだろう。 おもちゃが無いから、友達と遊べない。ゲーム機が無いから、友達と遊べない。金が無いから、友達と遊べない。 その割に、母は僕に色んな習い事をさせた。 よく分からない小さな楽器や、占いキットなんかも買ってくれた。 金が無かった訳ではないんだ。 だけど、母は僕への金の使い方も下手だった。 何一つ長続きはしなかった。 楽しくないことを楽しいと思い込めるだけの賢さは僕には無かった。 あの人はあの人なりに、僕のことを考えてくれていたのだろう。 でも、僕の本当に欲しかったものとあの人の贈り物には、大きなズレがあった。 そのズレは仕方のないことだと思った。 何せ、うちは貧乏なのだ。 僕は何もねだってはいけないんだ。 そう考えるようになった。 少しだけでも、欲しいものを欲しいと言えたなら、僕の子ども時代はかなり変わったんじゃないだろうか。 この、心の貧乏はずっと続いている。 何か、何でもいいから、頑張ってみたいとずっと考えている。 でも、この挑戦を心の貧乏が邪魔をする。 僕は何もねだってはいけないんだ。 だから、挑戦してはいけないんだ。 僕の行いは全て無意味なんだ。 論理が飛躍していることは分かっている。 だが、こんな考え方のせいで、僕は何事にも臆病になってしまった。 その臆病は怠惰へと形を変える。 僕は本当の意味で何も出来なくなってしまった。 安い酒を飲み、安い飯を食い、一日を無駄に浪費してしまう。 僕は母以上に金の使い方が下手になってしまった。 こんな自分が嫌で仕方がない。この現状を変えたい。その意気込みは臆病でかき消される。そんな自分が嫌で仕方がない……。 これは、貧乏のせいではない。親のせいでも、もちろんない。 全ては、ただ僕の心が貧しいだけにすぎないんだろう。
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