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タオルで身体を拭いた後、情けないがもらったパンツを履いて、これまた情けないが、洗ってもらったTシャツと、ワークパンツを着てソックスを履いた。
脱衣所から出ると、コーヒーのいい香りがした。
「縁くん、コーヒー飲む?あ、縁くんはお茶か。」
美容室で、カラーを待ってる間に出してもらえるドリンクを俺はいつも緑茶をお願いしていた。
「いや、あの。」
「ペットボトルだけど、どうぞ。」
そう言って、渡してくれた。
「ありがとう、ございます。」
「うん。」
にっこり笑われた。
「仕事、何時から?」
「あ、今日は、8時集合で…。」
俺のボディバッグからスマホの着信音が聞こえた。急いで手に取ってスマホを出すと着信は嶋佐さんだ。
「おはようございます。」
そう言って出ると嶋佐さんの申し訳なさそうな声が聞こえて来た。
『ごめん。立木。子どもが熱出して。今日に限って旦那休めなくて。』
旦那さんは確か、新聞社の記者だった。
「あ、はい。」
『悪いんだけど、ロケハン1人で行ってきて。スマホで動画撮ってきてくんないかな。』
土地勘なくて、不安だけど。
「大丈夫です。お大事にしてください。」
『悪いね、頼む。』
「承知しました。」
スマホを切った瞬間、ため息が出た。
目の前の男の特番のロケハン。ちゃんとやんないとカメラマンと行った時にまともなロケ出来なくなるし、こんな大事な仕事を1人でやるなんて。
「縁くん、なんかあった?」
言って良いのだろうか。でも、黙ってるのもなんか変だし。
「…東京のヘアサロンの打ち合わせとか、出口さんの思い出の場所のロケハンとか1人で行くことになりました。」
「なんで?」
「嶋佐さんのお子さんが熱で。」
「なるほど。」
コーヒーを飲みながら、呑気に相槌を打つコイツに少しムカついた。いや、取材対象にムカついたらダメだ。でも、ムカつく。
「色々、ありがとうございました。俺、行きます。パンツ、買って返しますので。」
出口がマグカップを流し台に置いた。
「僕、今日、1日空いてるんだよねー。」
は?
「縁くんが行くのは、所謂…僕のルーツ巡りなわけでしょ?」
「…え?」
「てことはさあ、僕と行った方が早くない?」
何言ってんだ?あんたは、ロケハンしたらダメだろ!撮影時に久しぶり感が無いと話になんないんだよ!!
「いや、俺1人でだいじょ…」
「大丈夫じゃないよ。そんな不安な顔しちゃってさ。ね?僕と行った方がいいに決まってる!」
「いや、あの」
「情報無収穫だったら、そっちの方が仕事できない感じしない?」
「あ、や、その。」
「嶋佐さんには内緒にしておくよ」
うっざ!!
なんっでこんなにコイツ押しが強いんだよ!?
「僕がいた方が縁くんの助けになると、僕は思うけどな。」
という流れで今に至り一緒に東北新幹線に乗って、東京を目指している。
コイツがどんな煌びやかな美容師人生を歩いてきたか知らないが、さぞもてはやされたであろう経歴を見せびらかしてくるに違いない。
ほんっとうに嫌なヤツだ。いけ好かない!
「縁くん、帰りは上野から新幹線にしよう。」
「は?」
「シャオシャオ、レイレイ、シンシン見てから帰ろう?」
「だから、遊びに行くんじゃないんですって!」
「えー。僕、パンダ見て癒されて仕事頑張ってたんだけどな。ロケハンになんないのかなー?」
そんなの!………。でも、嶋佐さん、食いつくかな。恩賜上野動物園にアポ取んなきゃなんなくなるけど…だいたい今からで撮影日程に間に合うかどうか…。動物園側の都合がつかない可能性高いよな…。でも、やってみなきゃわかんないしな。
「わかりました。帰りに行きましょう。」
パンダか。……。
「縁くん。もしかして、初生パンダ?」
出口がニヤついている。
恥ずかしいが、その通りだ。
「あの、日帰り旅行じゃないですからね?」
「わかってるよー。」
楽しそうにしやがって。絶対わかってねーよ。
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