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⑦何者でもない
出口の店から明かりが漏れている。接客してるんだろうな。少しだけ、そう思って、道端から店の中を見てみた。背伸びすると中が見えるくらいの窓の位置。中を見るとお客はいない。奥の洗髪台にも誰もいない。施術台の周りを掃除するアイツがいるだけ。お客は帰った後なのか?
アイツに気づかれないうちにこの場を去ろう。と。思ったのに、アイツがこっちを見た瞬間、目があったようでいて、ふっと笑われた。
「!」
ヤバい!咄嗟にそう思って逃げの体制に入った。
が。
「どうしたの?縁くん。」
店のドアからアイツが出てきた。
「か、帰り道!帰り道ー!」
「僕に会いにきたの?」
ボディーバッグをグイと掴まれた。首根っこ摘まれた猫みたいな状態。
「覗き見してどうしたの?」
「え?いや、別に。」
別に会いにきたんじゃないし。勝手に足が向いただけだし。
「寄ってきなよ。お茶でも飲んで行きな。」
「や、いや、悪いです。忙しいでしょうし。」
「今日は、お客さん終わりなんだよ。」
「じゃ、じゃ、帰ったら良いのでは?」
目線だけ顔を見た。コイツもコイツでデケーんだよな。
「どうしようかな。猫ちゃん捕まえちゃったし。」
「猫ちゃん?」
「縁って言う黒猫。」
心臓の辺りをツンって指で突かれた。
「はあ!?」
顔が熱くなっていく。
「よしよし。」
頭を撫でられたか思うと軽々持ち上げられて店に入れられた。結局いつも、コイツに力で負ける。
「せっかくだから、頭洗ってあげようか。」
初めてヘッドスパされた時のことを思い出した。あまりの気持ちよさに意識がとんでコイツの部屋で目が覚めたんだ。首を横に振った。
「だめだめだめ!!」
「ん?」
「絶対寝ちゃうから。そしたら、また」
コイツに散々掘られたことも思い出す。
「持って帰って無理やりする気だろ!!」
「何を?」
「や、だから、アレを!アレしてアレになっちゃうアレだよー!!」
「えー?わかんないな。」
出口がわざとらしく首を傾げている。それから、俺の頭を優しく撫でた。
「縁くん。今日も一日、お疲れ様。おかえり。」
おかえり?
「え。」
涙が溢れてくる。ずっと誰からも、そんなこと言ってもらえなかった。
「どうしたの?」
こんな、嫌いなヤツに、おかえりって言われて胸の奥があったくなって。
「なんで。」
「ん?」
「ここ、俺ん家じゃねーのに。」
抱き寄せられた。体温が気持ちいい。嫌いなのに、気持ちよさから離れられない。
「何か、あった?」
上から降ってくる甘い音。脳が溶けそう。そのまま、ダメにしてほしい。
「縁くん?」
見上げると、優しい顔がそこにあって。嫌いなのに、縋りたくなる。
「なんもない。」
誰にも好きになってもらえない俺を、コイツだけが好きって言ってくれたのは、本当のことなんだろうか。
「…なあ、あのさ。」
本当に、俺のこと好きなの?こんな何者でもない俺ともし、そうなっても
「ん?」
「やっぱ、頭洗ってくんない?金払う。」
なんの価値も得もないよ。
「じゃあ、おいで。」
それにさ。
「うん。」
あんたのこと、…好きじゃないし、俺は。
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