⑦何者でもない

3/3
前へ
/153ページ
次へ
「落ち着きな。」 出口の手が俺の手を包んだ。 「気に触ったなら謝る。ごめんね。気になっちゃってさ。」 手があったかい。顔が優しい。 「やっぱ、なんか変だよ、縁くん。」 なんでコイツ、ずっと余裕なんだよ。 「…あんたはいいよな。」 「ん?」 俺の口からは僻みしか出てこない。自分には誇れるものが何もないからだ。 「自分の店あって。お客は、あんたの前で笑ってくれて、褒められて、必要とされて。」 出口は、俺をまっすぐ見て、黙って聞いている。 「自分の信念もあんだろ?自分のこと誇らしいって思ってんだろ?いつも余裕で、いつも誰かに優しくできて。安心させることもできて。なんなんだよ、マジで。ずるいよ。」 こんなの、ただの八つ当たりだ。 コイツにはなんでもあって、俺には何にもない。 「そっかー。」 ため息をつくような声だった。がっかりしろよ。嫌われれば万々歳だ。 「それは、縁くんの見てる僕だもんなー。そんなイメージになっちゃってんのかー。」 「ああ?」 「はははー。なんかごめんねー。」 いきなり抱きしめられた。 はあ!?何?? 「ちょっと、放せよ!!なんなんだよ!!!」 「ねーねーねー、縁くん?」 「な、何?」 「自分には何もないー、とか、何者でもないー、とか、思って落ち込んでんのー?」 なんで、なんでわかったんだよ。 「は?な!なんなんだよ!?」 でも、こんなヤツにバレたくない! 「放せ!」 「わかりやすー。いいねー。アオハルだねー。懐かしくて震えるー。大好きそういう青臭いの。」 「あんた、バカにしてるだろ!!」 顔を両手で挟まれてじっくり見られた。出口の目がキョトンとしてる。目を合わされて恥ずかしくて顔が熱くなる。 「してないよ?」 「してる!」 俺が眉間に皺を寄せるほど、コイツは楽しそうで 「かわいいなあ。」 「はあ!?」 俺は、腹が立つのだけど。 「僕は、良いと思うんだよな。」 「え?」 頭を撫でられる。 「今は、真っさらで良いと思うな。」 「…。」 「もし、やりたいことがあるのなら、そのための今は、尊いと思うよ。」 腕ひとつで欲しいものを掴んだヤツが、僻みや妬みの感情を見せていた俺にニッコリ笑う。 「誰だって、最初は何者でもないんだよ?そんなこと、頭の良い縁くんならわかるよね。」 持っていたけど無くなったモノに引け目を感じて過ごした1日だった。自分の過ちがそれを無くさせたんだ。 だから、俺には何もない。だから、俺には誰もいない。でも、真っさらじゃない。赤っ恥がついて回ってる。 「…ぅう、ぐっ。…うっぐ。」 涙が溢れて嗚咽が漏れる。 「俺は、あんたが思うようなヤツじゃない。」 「いいよ。そんなの当たり前だ。」 涙を拭われた。優しい指先。思わず目を閉じた。 瞬間。 唇に柔らかいあったかさを感じた。 これは……… …キスだ。
/153ページ

最初のコメントを投稿しよう!

81人が本棚に入れています
本棚に追加