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⑨許せないままでも
出口の特番は遠征ロケも終わって、取材は大詰めになってきていた。ロケ台本の改訂部分を小田さんに渡しておくように嶋佐さんから言われてカメラ倉庫に来た。
「小田さん、お疲れ様です。」
「おー、立木。」
「…改訂台本。嶋佐さんからです。では。」
カメラ倉庫の棚に台本を置いて、去ろうとする。
「立木。…まだ、怒ってるよな?」
怒ってる?嫌われているとわかった今、諦めただけだ。
遠征ロケが終わって、帰りの新幹線。俺は疲れて熱を出して座席に座った瞬間に眠り込んでしまった。駅から会社に戻る間も意識は朦朧としていた。翌日から昨日までは熱が下がらず連休をもらっていて休んでいた。
だから、ロケの後に小田さんとまともに顔を合わせたのは今が初めてだ。
「なあ、昼飯食いに行かないか、立木。」
小田さんが、俺を誘ったのは初めてだ。小田さんが、ばつの悪そう顔をする。
「奢るし、吉野家。」
局から歩いて行ける距離に吉野家がある。むしろ、局から歩いて行ける距離には吉野家しか飲食店がないのだ。
「…行きます。」
吉野家は、そこまで混んでいなくて、4人がけの窓際のテーブル席に2人で座った。
手を合わせて、アジフライに手を伸ばした俺に
「お前、肉嫌いなのか?」
牛丼を大盛りにした小田さんが言った。
「…肉が嫌いというより、アジが好きなんです。」
「ふーん。渋いな。断然和食派なわけ?」
アジフライをひと齧りして咀嚼し小田さんの質問から好きな食べ物を頭に思い浮かべる。
「1番好きなのは…オムライスです。」
「はーあ?」
悔しいことに、頭に浮かんだのは出口が作ってくれたオムライスだった。
「え、卵は硬いヤツ?ドロドロなヤツ?」
「硬い方です。」
出口が作ってくれたのも卵は硬かった。
「昔ながらってヤツか。」
小田さんは、紅生姜のパックを10袋開け、牛丼の上に紅生姜を盛り付けていった。
「紅生姜。多くありませんか?」
小田さんが箸を持って紅生姜と牛肉をなじませる。
「本当はこの倍、紅生姜食いたいんだけどよ。流石に店に悪いよな。牛丼よ、紅生姜食いてえから食ってんの。」
「…へえ。」
「紅生姜丼があったら良いのによ。」
「…ニッチですね。」
「ふ。うるせーよ。」
小田さんが紅生姜まみれになった牛肉を口に運び咀嚼する。
「うん、うまいな。」
そして、すぐにお茶を飲む。
俺もアジフライを齧って、それから白米を頬張った。あったかいご飯が食べられるお昼は、少し贅沢だと思う。
アイツはお昼なんかゆっくり食べることあるんだろうか。
「立木、悪かったな。」
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