⑨許せないままでも

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仕事以外、プライベートでこの美容室に来たのは空手番組の収録の日以来だった。 帰り道に足が勝手に向いてここに来た。あの日も出口は俺にキスをした。アイツ…どんだけ唇好きなんだよ、変態。 施術用の椅子に座りながら俺とは縁遠いファッション雑誌を鏡台の上でめくって目に入ったおしゃれな服に目眩がした。 「お待ちしてましたー。今日から担当する出口です。よろしくお願いします。」 そう言って、出口が後ろに立った。 「…お願いします。」 「今日はどうします?色は…変えてみますか?」 こんな接客らしい接客。ものすごく距離を取られた気分だ。 「…色は同じで。」 「ちょっと明るくするのもおすすめですけど。」 「いや、一緒で。」 「夏なんで、カーキ系もおすすめですけど。」 「いや、一緒で。」 「ベージュ系もおすすめですけど。」 「いや、一緒で。」 「そうですか?ずっと一緒だと飽きませんか?」 「いや、一緒で。」 何回同じこと言わすんだよ!てか、同じことは3回までだ! 「まずカラーからやっちゃいましょうね。カットは、整えるくらいで大丈夫ですかね。ちょっと変わりますねー。」 出口がそう言うと、カラー剤を手に違うスタッフさんが来て、俺の髪にカラー剤をつける準備を始める。 出口はといえば、他のお客さんの方に行って楽しそうに話しながらカットをし始めていた。 ハケにカラー剤を乗せたスタッフさんが 「よろしくお願いしまーす。」 そう言って髪の根本からカラー剤を塗り込んでいった。スタイリストが1人のお客さんを最初から最後まで施術することはあまりない。ま、別にいつもと変わらない。前に担当してくれていた女性の担当さんもそうだった。最終的にカットをすれば“担当”と言えるのだろう。 カラー剤をつけてもらいながらも、出口と客の会話が耳に入ってきた。 「出口さん、最近パズルゲームやってますか?」 「あー、モンストの呪術コラボの時はめっちゃやったんだけど最近やってなくてさー。え?なんかとなんかでコラボしてるの?」 「パズドラとガンダム」 「…ああ。CM見たなあ」 「え、あんまりハマってない感じですか?」 「んー、ガンダムねー。昔は百式とかザクとかプラモ作ってたんだけど最近はそこまでなんだよなー。」 「えー?」 「僕、急に冷める時あってさー。良くないって思ってるんだけどね。」 「え、じゃあ、パズルゲームごと急に冷めたんですか」 「うーん。…そうなのかも。」 「えー。」 頭皮にカラー剤のひんやりとした冷たさを感じながら目を閉じた。 そうか。と思った。多分、俺のことも急に冷めたんだ。だから、ずっと敬語でずっと他人行儀なんだ。別に良いけど。いや、むしろ嬉しいくらいだ。 「あ、目に染みましたか?」 スタッフの子が俺の顔を覗き込んでいた。鏡を見ると片目から涙が流れていた。 「うわ、ごめんなさい。」 そう言って、ティッシュで目の下の涙を拭ってくれた。 「あ、全然大丈夫です。ドライアイなんです。多分。」 「あー、私もドライアイです。辛いですよね。」 「はい。」 胸の奥が痛い。あんなに馴れ馴れしくしてきたくせに。こんなにあっさり突き放すとか。 まあ…急に冷めるには十分だよな。嫌いって散々言ったのは俺なんだから。
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