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「流石にわるかったし、僕。縁くん、本当はもう僕に会いたくないのに我慢して来てくれたのかなって。」
出口の声に不安が混じって、珍しく自信の無さを感じた。
まあ、会いたくはなかったけど。
酷いことされたし、許せないし。
俺の目には天井しか見えていなくて。出口がどんな顔でそれを言っているのかは想像するしかなかった。
「それに縁くん、変身願望ないっぽいからさ。変な話美容室どこでも良いでしょ?」
「うん。まあ。……。」
出口が、俺の頭を撫でるように触る。
「ねえ、気持ち悪いこと言うんだけど。」
なんだろう、怖い。
「縁くんのカットどうしようか、この1ヶ月、ずっとそればっかり考えてた。仕事中。」
やっぱりそうか。無理やりシャンプーしたり、やたら前髪いじってきたのはそのためだったんだ。
「気に入ってくれたようで良かった。ああ、ごめん。自分が気持ち悪いや。はは。」
照れ笑いしながらシャワーでトリートメントを流し始める。
は?別に、気持ち悪くねーよ。
それどころか。なんていうか。胸の奥がキューって締め付けられて、変にドキドキしてくる。
タオルドライされるのが変に気持ちが良い。
コイツの俺のこと好きって言う気持ちは本当なのかもしれない。と、ぐるぐる考える。
施術台に移動してドライヤーで髪を乾かしてから、ヘアバームで髪をセットする。
俺はまた、前のめりで鏡を覗き込んだ。
「ねえ、映ってるの縁くんだよ?」
いや、こんな髪型したことないから、鏡の中にいる俺は俺じゃない気がしてしまう。
「セットの仕方はね。」
そう言って、ヘアバームの使い方を教えてくれた。
俺は出口の手の動きをじっくり見ていた。
自分の存在を消したかった俺が俺に興味を持った瞬間。
「これ、使いやすいからおすすめだけど、縁くんワックス持ってる?」
俺は何も知らない子どもみたいに首を横に振った。
「持ってない。それ買う。」
「え。本当?使い方、わかった?」
「うん。」
「よくさ。買って満足しちゃう人がいるんだけど、ちゃんと使ってね。」
「うん。」
「なんか、素直じゃない?」
出口が俺の前髪に手のひらについたバームを少し馴染ませて笑った。
「後ろ、こんな感じだよ。」
合わせ鏡にして後ろ姿を見せられる。適度に空かれた黒髪が小慣れして見えた。
俺はまた前のめりになった。
「なんか、すげーな。」
鏡台には、開いたままのファッション誌。俺には無理だと思った着こなしのスナップの数々が目に入った。
「……。なあ。」
出口が鏡を下ろして俺を見た。
「ん?」
「俺、服…黒のTシャツと黒のワークパンツしか持ってないんだよ。」
「…クロコだから?」
「うん。」
俺は雑誌を手に取って、1番無理そうなスタイリングを指差した。
「俺も調子こいても良いのかなあ。」
出口はそのスナップと俺を交互に見て
「僕は、こういう服が縁くんらしいって、そう思うけどな。」
ふっと笑うその顔に、胸が高鳴るのを感じた。
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