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俺は、静かなこの空気に緊張する。アイツの目が真剣で、指先が綺麗で無駄がない動きをしていてそれを見ていると。俺の心臓の音が大きくなっていく。
「前髪はどうしようか?」
その声に、前髪を分けられた時のことを思い出した。
「せっかくだから、作ってみない?新しい自分になりたくて、今日予約してくれたんだよね?」
「じゃあ、福原遥ちゃんみたいになりますか?」
女性の前のテーブルには、福原遥の写真集“これから。”が置いてあった。店のものなのか、この人が持ってきたものなのかはわからないが。
「うん。きっと似合う。」
よく見てみれば、そのお客さんは高校生のような顔立ちだった。
「明日、転校初日だもんね。楽しんでよ。高校生。じゃ、切るよー。」
「うわーー。」
女性が目を瞑る。前髪にハサミを入れ素早く仕上げていく。
女性の目がパッと開いて、出口が鏡を覗き込んだ。
「どう?梨沙ちゃん、かわいいけど。」
自分を食い入るように見る女性の顔が綻んだ。
「…かわいい。」
「ねー。」
「あはは。」
なるほど。
コイツの人気の理由わかった気がする。
「彼氏できちゃいますかね?」
「それは梨沙ちゃん次第だけどなー。」
「前髪、気に入っちゃいました。」
「そう、良かった!」
さっきまで緊張していたように見えた“梨沙ちゃん”が、前髪を作ったことで不安が解消されたようにも見えた。
「後ろは、こんな感じ。髪が綺麗だからこの長さステキだと思います。」
「ありがとうございます。」
椅子を回転させて会計に促した。会計が終わると、外に見送りに行く。その声が聞こえてきた。
「あ、帰り気をつけてね。自転車。」
「はーい。」
そんな会話の後、30秒後に出口が戻ってきた。
「こんばんは、たっちー。」
ニコッと笑われた。
「遅くにすみません。ロケのスケジュールを持ってきました。ご一読を願います。」
そう言って、封筒を差し出すと、出口は「わざわざどうも」って言って封筒を会計カウンターに置いた。
「では、あの、失礼します。」
頭を下げて帰ろうとすると、
「試していかない?」
って、腕を掴まれた。
「あの?」
「これから1時間くらい空くんだ。」
「え?」
そう言って、腕は掴まれたまま。
「さ、おいで。縁くん。」
は?縁くん!?
あろうことか、俺は抱き上げられて、シャンプー台に運ばれた。
「え?は?なんだよ!なにすんだよ!なあ!!」
「え?キスでもしようか?」
「するわけねーだろ!!なんなんだよ!」
肩を押さえつけられて身動きが取れない。
細くて軽くて小さい自分が情けない。背が伸びる薬とかプロテインとか飲めばコイツに勝てたかもしれないのに、中3で極真空手をやめてからそれをしてこなかった自分を恨む。
クソ!!こんなとこでこんないけ好かないヤツにキスなんかされたら俺の一生が終わる。
だいたい考えろ!俺もコイツも男なのに、なんでコイツは俺を好きなんだよ!?ええ?どういうコト!?
「縁くんていい名前だね。」
「どこがだよ!こんな名前と顔せいで、女子に間違われなかったことが1度もないんだぞ!?」
俺は噛みつきそうになりながら必死に訴えた。
「そうじゃなくて。僕と縁くんに縁があるみたいじゃない?取材だって、縁くんがいるなんてね。これについては運命を感じるよ。縁くんに密着されちゃうなんてね。」
はあ!?ただの偶然だろ!?何が運命だよ!!そもそも密着すんのは俺じゃねーし!
「さて、縁くんには気持ちよくなってもらわないと」
「え!?ちょっと!!」
椅子は、何かスイッチを押すとベッドのように平らになった。
まさか、こんなところで。まな板の上の鯉状態なんですけど。
頭を持たれ、位置を調整される。
「縁くんて、リアクションが大きいね。かわいい。」
頭の上の方から覗き込まれ髪をかき上げられた。シャワーがその髪を濡らし始める。
「気持ちいいから、眠っても良いよ。必ず眠れるヘッドスパだよ。はい、おやすみー。」
「いや、俺うち帰ってから明日の準備が…。」
「じゃあ今だけでも、リラックスして。」
囁くその声は、俺を緊張させるが、シャンプーしながら頭皮をマッサージするその手は、俺の意識を一瞬で飛ばしてし………
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