親友に騙された!

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 代り映えのしない毎日だが、1年に一度、新鮮な空気が流れる時がある。年度替わりの4月だ。多くの人が新しい生活をはじめる季節である。宏子の乗る通勤電車のなかにも、新しい顔がちらほらと見られるようになった。新卒か、進学か、はたまた転勤か、皆、どことなく緊張した面持ちに感じられる。  ある朝、宏子が、いつものようにドア付近の壁面にもたれかかり、スマートフォンに興じていると、駅ではない場所にもかかわらず、急ブレーキがかかり、電車が停車した。“すわっ、なにごと?” 乗客がザワつくなか、車内アナウンスが流れる。  「ただいま当列車の前を、猫が2匹横切りましたので、衝突回避のため、緊急停車いたしました…。」  鼻に抜けるような鉄道会社独特の節回しとは程遠い、ごく普通の口調に、乗務員の動揺が伺える。とはいえ、一般の乗客からすれば、なんとも微笑ましいユニークな出来事だ。しばらくして列車は何もなかったように動き出した。宏子は、何気なく車窓から外を眺める。“犯人”とおぼしき命しらずの黒猫が2匹、民家のほうに走っていく様子が遠目に見てとれた。“お騒がせだなあ!” 宏子が呟く。停車していたのは僅か数分だが、通勤途中であるが故に、列車の遅延は即、遅刻に繋がりかねないのだ。  宏子が、その視線を自分のスマートフォンに戻そうとしたとき、反対側のドア付近で、ロングシートの片隅に座っているひとりの男性が目に留まり、思わずハッとなった。先週までは見なかった馴染みのない顔だ。彼もまた、新しい生活を始めたひとりなのであろう。花粉対策のためか、マスクをしていることもあって、顔の半分以上が隠れているにもかかわらず、なぜか妙に気になる。“もしかして、これが<ひとめぼれ>というものなのか?” そんな衝動にかられた。もともと、女子高、女子大と進み、就職後も、ほとんどが女性という職場であるがゆえに、なかなか出会いに恵まれない環境にいることは確かである。三十路(みそじ)を迎え、両親は我が()の将来に気が気でない様子で何かと口うるさいが、それほど強い結婚願望があるわけでもなく、自分から積極的に動くタイプではない宏子にとって、どうしても恋愛は疎遠になりがちだ。それだけにこのときの出会いは、まさしく青天の霹靂ともいえる出来事であったといえよう。
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