自由世界への脱出

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 さらに通りを歩いて行くと、カフェの看板が見えた。僕はカフェのドアを開けた。カウンターでコーヒーを受け取り、窓際のテーブルに腰かける。  コーヒーを一口飲んで、M・Mの詩集を開いた。 「それ、M・Mの詩集ですね」  不意に身近で声がした。本から目を離して顔を上げると、テーブルの向こうに女性が立っていた。僕がラップを聴いていたときに見た女性だった。歳は僕より上、多分三十代前半だろう。大企業の中堅幹部の雰囲気を漂わせている。 「ここ、同席していいかしら」 「えっ、ええ、いいですけど」  と、撲は答えたけれど、言い終わる前に既に女性は座っていた。 「この国はいい国ですか。気に入ってくれましたか」  持っていたコーヒーカップをテーブルに置くと、彼女は聞いてきた。 「いい国です。ここは自由です。誰からも監視されませんし、ビッグ・ファーザーのアジテーションも聞かなくて済みます」 「ビッグ・ファーザーの話はアジテーションじゃありませんよ。真実を述べて国民を正しく導いてるのです。監視というのも誤解してます。未熟な国民を保護するために見守っているのです」  女性の表情は穏やかだが、口調には強い意志を感じる。この自由な国でビッグ・ファーザーの肩を持つ人がいるとは思わなかった。 「あなた、こんなにも簡単にこの国へ逃げてこられたのが、おかしいと思いませんか。国境には二重の高い壁があって、壁と壁との間の地面には地雷が埋め込まれてます。しかも警備も厳重です。そんな国から簡単に出国できるはずがありません。そう思いませんか? K大学文学部S・カイトさん」 「なぜ、僕のことを知っている」 「あなたのことは何でも知ってます。だから、あなたが本当はどこにいるかも知ってます。どこにいるのか教えてあげましょうか」 「ど、どこにいるんだ」  女性は狼狽えた撲を哀れむような目で見る。 「国中で不思議な病気が流行り出したんです。眠り病とでもいうのでしょう。一度眠り込んでしまうと、そのままずっと眠り続けるという病気。医師たちがその原因を調べました」 「……」 「そして、原因が分かりました。ビッグ・ファーザーの偉大な力は国の隅々に及んでいます。ですが、さすがに国民の夢の中にまでは及びませんでした。だから、あなたのような不平分子たちが、いわゆる『自由』というものを求めて夢の中に逃げ込んだのです。あなたは帰宅途中のバスの中で眠っているのを発見されましたよ」 「お前は何者だ」 「私はあなたの夢に入り込むために、治安警察が作ったアバターです」 「それでどうするんだ。僕を目覚めさせるというのか?」  撲は身構えた。 「いいえ、眠り病に罹った者を起こすことはできませんでした」 「当然だ。あんな国に戻るなんてまっぴらだ。ずっと夢の中のこの国にいるよ」 「でも、医師たちの努力で解決しました。目覚めさせることができなければ、こちらから夢の中に入ればいいのです。それにより、夢の中にもビッグ・ファーザーの力が及ぶようになりました。今やビッグ・ファーザーはその偉大な力で、国や国民を完全に支配できるようになったんです」  女性の目がきらりと光った時、突然撲のスマホから聞きなれた勇ましい旋律が流れた。スマホの画面を見る。画面の中でビッグ・ファーザーが不敵な笑みを浮かべていた。
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