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2月14日
きょうはただの平日で、僕はいつものように仕事の話をしに来ただけだ。ただ、彼はいつも美味しい珈琲を淹れてくれるから。珈琲に合いそうなチョコレートを偶然見つけて、いつものお礼を込めて買っただけ。そう、同性の友人どうしならよくあることだろう?
いや、彼にとっては僕なんて友人だとも思っていないだろうけれど、それならなおのこと特別な意味なんて存在するわけがない。なのに、いかにも意味があるかのように考えてしてしまうのは、僕が彼を意識し過ぎているだけだから。
なんて、だれに向けているのかもわからない言い訳をぐるぐると繰り返すうちにたどり着いてしまった彼の事務所の扉をたたく。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。どうぞ、座って下さいね」
いつものように、彼は優しく迎えてくれる。だけど勧められるがままに応接ソファーに座る前に、勇気を出して彼の前まで歩を進める。ほら、このタイミングが一番不自然じゃあないはずだから!
「あ、あの」
「わあ! ……ど、どうしました?」
「あっ、すみません、その」
ああもう、いつもと違うことをするとすぐこれだ。本当に人との距離感って難しい。
「ああ、こちらこそすみません。少しぼうっとしていたみたいです」
はぁ、今日も彼はすごく優しくて救われる、……って、そうじゃない! それに、いつもてきぱきしている彼がぼうっとしているなんて珍しい。もしかして、タイミングが悪かったかなあ。いや、それこそきょうはバレンタインデーだから、意中のだれかを待ってそわそわしていたのかも。どうしてそんなこと思いつかなかったのか、いや考えたくもなかっただけかもしれないけれど、そうとしか思えない状況と自分の気の利かなさが嫌になる。
「えっと、大丈夫ですか? 無理しないで……あのっ、僕また出直すので、よかったらこれ」
「えっ……?」
「あっ……ほら、いつも美味しいコーヒーのお礼に」
なんとかしてチョコレートだけでも押し付けて帰ろうとしたけれど、きょとんとした顔をされてしまったのでここぞとばかりに脳内で考えていた言い訳を口にする。よし、話の流れも不自然じゃないはずだ。
「それじゃ」
「っ、待って……!」
「……えっ」
僕が帰ろうとするのを引き留めるように咄嗟に腕が捕まれて、気づくと同時にそれはすぐにぱっと離れていった。びっくりしたけど嬉しくて、その意外と男らしい彼の手の感触がまだ残っていてどきどきする。
「ああ、申し訳ない」
「あっ……いや、それはいいんだけど……」
「…………」
「…………」
「「あの」」
「あっ、その……どうぞ」
ああもう本当に僕ってば、なんて間が悪いんだ。せっかく彼が引き留めてくれたっていうのに迷惑かけてばっかりだ。やっぱり彼の言葉を聞いたら帰るとしよう。
「えっと……もしあなたさえよければ、きょうも珈琲を飲んでいってくれませんか?」
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