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 ずっとポーカーフェイスだった彼の顔に、驚きの色が滲む。彼には恋愛経験がなかった。女の子の涙に免疫がなかった。当然のことながら、それをとめる方法なんて解るはずもなかった。  いつも通りの、静かな、のどかな校舎裏で、ぎくしゃくした二人が、途方に暮れていた。  次にきっかけを作ったのは、彼だった。 「俺のほうから、言ってもいい?」 「それは駄目っ」  ハッとした顔で、彼女は慌てて阻止する。続けて「あの、えっと・・・」と、言葉をつっかえながら、 「あのっ・・・お昼は、もう食べましたか?」  彼は一瞬、拍子抜けしたように瞬きをし、小さく息を吐いた。そして、横にゆっくりと首を振った。 「ううん、まだだよ」 「ああごめんなさい、私のせいで時間が・・・」  昼休憩は、残り十五分しかない。彼は笑って「大丈夫」と呟く。そんなふうに声に出さず笑う彼のことも、彼女は好きだった。 「じゃあ、あの・・・付き合ってる人は、いますか」 「いいえ」声の音色が優しい。「いません」 「あの、だったら私と・・・!」  言葉はもう、彼女の舌の上まで出ていた。、喉を振り絞っていた。  彼女はようやく覚悟を決めることができたようだった――もう、どんな返事が来てもいいわ。 「私と・・・」  だから、言うの。今度こそ言って楽になってしまいたい。これで終わりにするの。もう惨めな思いなんてしないためにも。自分の心に、彼女は思いっきり叫ぶのだった。言うのよ、お願いだから、言って、言いなさい・・・  その時、一陣の風が吹いた。彼女の髪を撫でる影の模様に、彼は気づく。見上げると、桜の木だった。枝の先には可愛らしい花芽をつけ、お辞儀をするようにそよそよ揺れていた。  もうこんな時期なんだなと、彼はしみじみ思った。初めて彼女から校舎裏に呼び出されたのも、入学式を終えて間もない四月だった。懐かしい。もうすぐ一年経つのである。毎週のように、雨の日も、雪の日も・・・二人はこうして、昼休みの校舎裏で待ち合わせるのだった。  そして彼の気持ちが変わったことはない、桜煙る麗らかなあの日、初めて彼女とここで会った瞬間から。  ふと、彼は彼女を見た。彼女も彼を見ていた。お互いに相手の目を鏡に自分を見つけた時、いとも簡単に通じ合ってしまった。「相手の気持ちが、自分と同じである」ことに。それは二人がこれまで経験したことのない魔法みたいな作法だった。 「・・・私の気持ちを、聞いてください」  彼女の声は穏やかに澄んでいた。迷いも不安もなかった。ただ素直に、彼の胸に届くのだった。 「私は、あなたのことが――」  その時、彼らの頭上で、桜の蕾がひとつ綻んだことを、彼らは知る由もなかった。  彼女が言い終わると、彼はじっと瞳を逸らさず、何やら二言三言返したようだった。  そしてその場を去って行った。彼の背中を、彼女は黙って見送っている。  角を曲がりいなくなる直前、彼は振り向き言うのだった。まさに今思い出したといった口調で。 「明日からは昼ご飯、一緒に食べようよ」  風が、春になった。
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