終わらない朝

1/1
前へ
/8ページ
次へ

終わらない朝

「本日発売の仕事をテーマにした彼の写真集が……」  そんなニュースの音を聞き流しながら丁寧に髪をブラシで撫でつける。あの日、あいつは俺を見て嬉しそうに泣いた。  約束を果たすために、俺は今ここに立っている。満員電車は、相変わらず息苦しいし、色々な人の汗の匂いが充満している。  スマホのニュースをチェックすれば、あいつの満面の笑み。 「親友がいたから、ここまで来れました」  少し微笑んでしまう。扉が開けば新鮮な空気が流れ込んで、キラキラと埃を反射させて輝く。トンっと後ろからの衝撃に押されながら降りれば、たくさんの人が行き交う流れに攫われてしまいそうになる。  肩のカメラバッグを守りながら、人混みを避けるように歩いて降りる。 「たぐっちゃん! おはようー!」  改札には明るい声で叫ぶあいつの姿。目立つなよ、有名人なんだからお前はよ。 「おはよう、翠」 「今日はいい天気だねぇ」 「そうだな」  なんてことない会話に涙が溢れそうになる。 「あの写真集の俺、本当に男前に撮れてたな」 「なにを今更、俺の腕がいいからでしょ」 「俺の仕事してる姿もかっこいいだろう」 「否定はしないよ、ほら早く行こう」  夢は流れて流れて変わっていってしまった。あいつの写真に映る俺は、俳優としての俺ではなかった。それでも、今の仕事を誇りに思っている。 「たぐっちゃん、早く行こうってば」  元気そうに走り回るあいつの姿に、一粒涙がこぼれ落ちた。叶わない夢に打ちひしがれて、時が止まってしまった俺の時計は無理矢理に動かされた。 「灯! ありがとうね」 「何を今更」 「灯がカメラ突き返して来なかったら、俺諦めてたかもなぁって」  カメラを構えながら、翠が変わらない笑みを浮かべる。翠に撮って貰えるような人間になりたかった。モデル、役者、色々な夢を通り抜けて、今の俺の夢は翠の作る世界を支えていくことだ。 「マネージャーにもなってくれたし、俺今幸せだよ」 「プロポーズみたいだな」 「えー、結婚はもっと優しい子とがいいなぁ」 「冗談だよ」 「本当はもういいと思ってたんだ。灯に夢を預けてこのままってのも悪くないなって」 「縁起でもないこと言うな」 「今だから言うんだってば」  翠にくっついていた病気は、跡形もなく消え去っていた。病院で目を覚さない翠に声が枯れるほど叫んだ。あの時を、もう思い出したくもない。 「笑えねー冗談だな」 「いや、本当に」 「成功率十パーセントだったけ?」 「そう。灯がずっと叫んでたの聞こえてたんだ。帰ってこいって」  色が消えていた世界に一人で生きていた時、お前が色を取り戻してくれた。だから、次は俺が。 ──次は俺がお前の、世界を取り戻すから。  そう呟いていた。その約束を果たすためにお前を取り戻すために叫び続けた。病院のベットで眠り続けるお前の耳元で。 「ありがとう灯」 「今更だな」 「本当にありがとう」 「こちらこそ、ありがとう翠」  歩き始めた道は、色鮮やかに輝いている。カシャっとあいつがシャッターを切る音が心地よい。 <了>
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加