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終わらない朝
「本日発売の仕事をテーマにした彼の写真集が……」
そんなニュースの音を聞き流しながら丁寧に髪をブラシで撫でつける。あの日、あいつは俺を見て嬉しそうに泣いた。
約束を果たすために、俺は今ここに立っている。満員電車は、相変わらず息苦しいし、色々な人の汗の匂いが充満している。
スマホのニュースをチェックすれば、あいつの満面の笑み。
「親友がいたから、ここまで来れました」
少し微笑んでしまう。扉が開けば新鮮な空気が流れ込んで、キラキラと埃を反射させて輝く。トンっと後ろからの衝撃に押されながら降りれば、たくさんの人が行き交う流れに攫われてしまいそうになる。
肩のカメラバッグを守りながら、人混みを避けるように歩いて降りる。
「たぐっちゃん! おはようー!」
改札には明るい声で叫ぶあいつの姿。目立つなよ、有名人なんだからお前はよ。
「おはよう、翠」
「今日はいい天気だねぇ」
「そうだな」
なんてことない会話に涙が溢れそうになる。
「あの写真集の俺、本当に男前に撮れてたな」
「なにを今更、俺の腕がいいからでしょ」
「俺の仕事してる姿もかっこいいだろう」
「否定はしないよ、ほら早く行こう」
夢は流れて流れて変わっていってしまった。あいつの写真に映る俺は、俳優としての俺ではなかった。それでも、今の仕事を誇りに思っている。
「たぐっちゃん、早く行こうってば」
元気そうに走り回るあいつの姿に、一粒涙がこぼれ落ちた。叶わない夢に打ちひしがれて、時が止まってしまった俺の時計は無理矢理に動かされた。
「灯! ありがとうね」
「何を今更」
「灯がカメラ突き返して来なかったら、俺諦めてたかもなぁって」
カメラを構えながら、翠が変わらない笑みを浮かべる。翠に撮って貰えるような人間になりたかった。モデル、役者、色々な夢を通り抜けて、今の俺の夢は翠の作る世界を支えていくことだ。
「マネージャーにもなってくれたし、俺今幸せだよ」
「プロポーズみたいだな」
「えー、結婚はもっと優しい子とがいいなぁ」
「冗談だよ」
「本当はもういいと思ってたんだ。灯に夢を預けてこのままってのも悪くないなって」
「縁起でもないこと言うな」
「今だから言うんだってば」
翠にくっついていた病気は、跡形もなく消え去っていた。病院で目を覚さない翠に声が枯れるほど叫んだ。あの時を、もう思い出したくもない。
「笑えねー冗談だな」
「いや、本当に」
「成功率十パーセントだったけ?」
「そう。灯がずっと叫んでたの聞こえてたんだ。帰ってこいって」
色が消えていた世界に一人で生きていた時、お前が色を取り戻してくれた。だから、次は俺が。
──次は俺がお前の、世界を取り戻すから。
そう呟いていた。その約束を果たすためにお前を取り戻すために叫び続けた。病院のベットで眠り続けるお前の耳元で。
「ありがとう灯」
「今更だな」
「本当にありがとう」
「こちらこそ、ありがとう翠」
歩き始めた道は、色鮮やかに輝いている。カシャっとあいつがシャッターを切る音が心地よい。
<了>
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