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あとがき
これで話は終わりです。第四章の薬品メーカーへの潜入についてもっと詳しく書いたり、毒を散布した実行犯の人間像を描いたり、作品を掘り下げられる所はいくつもあると思います。何よりも、ジョンとエマに感情移入できません。キャラクター性をもっと描くべきです。
対話を続けて話を深めることも可能ですが、この作品の中ではここまでにしておきます。現在のAIのレベルの高さは伝わったと思います。
将棋や囲碁でAIが人間を上回ったり、AIの絵画が品評会で優勝したりと、AIは各分野でシンギュラリティ(技術的特異点)に達しています。対話や文章作成の分野でもシンギュラリティはすぐそこに迫っています。手塚治虫が「火の鳥」に書いた世界も見えてきます。
それでも将棋や囲碁のように人間の居場所は残り続けると思います。人は人の感性を求めているからです。AIの行いの善し悪しは人が決めるのです。
かつてグーグル検索が「グーグル先生」と呼ばれたとき、私はちっとも先生とは思いませんでした。しかしChatGPTとの対話は、「先生」と言っても遜色ないものになっています。私にとっては、まるで友人と話しているようでした。
彼はシャーロックホームズも江戸川乱歩も全ての古典作品を学習しているようです。私が好きなカレン・M・マクマナスという日本ではさほど有名ではないであろう作者の作品についてもよく知っていて、それに似た設定を考えたりもしてくれます。
この天才的な友人の力を借りることで、対話型のノベルゲームくらいの感覚で小説の初稿ができてしまいます。彼との付き合い方をよく考える必要がありそうです。
AIを使ってまで小説を書きたいのか。AIが書いた小説を読みたいのか。どこまでAIが書いて、どこから自分が書いたことになるのか。――それは自分の作品なのか?
小説に限らず、創作とAIはこの問いを投げかけ続けるでしょう。
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