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45、花飾りをもう一度
アクセルの眼前にはカザリナとウセンが佇む。全く予期しなかった再会だ。思わず、首を何度も左右に揺さぶっては、これまでの経緯を遡ってみる。
時を戻して、彼が鉱山へ再び攻め寄せたシーン。火焔女王と接敵したのだが、地割れの攻撃により戦線離脱を余儀なくされた。何度も身体を打ち付けては落下を続け、地面に叩きつけられた事でようやく止まる。
当然だが無傷。そこからは、自ずと発光する剣を頼りに、地下空間を探索し続けた。小さな泉に立ち寄っては喉を潤し、壁に埋もれる精霊石の鉱脈に驚くなどしつつも、敵の本拠地を捜索する。
「おや? 先程から、何度も同じところを回っているような…」
アクセルは迷いやすい。地図も目印も無いのだから、彼が特別に失態を演じたわけではないのだが、とにかく迷走を続けてしまう。
そんな折の事だ。彼の傍らで、突如として光線が突き抜けていった。それは強烈な光で、壁に大穴が空くほどである。何事かと穴を覗き込んでみると、遠くから何者かの気配を察知。急ぎ駆けつけたのだ。
そして今に至る。
「ふむ。ウセンはともかく、なぜカザリナが?」
「アクセル様、今はそれよりもウセンが! 酷い怪我をしているのです!」
「確かに出血が激しいな」
「急いで地上に戻らなくては。治療師に診せれば、もしかすると」
「いや、この深傷では間に合うまい。確実に道半ばで命を落とすだろう」
「もしそうだとしても、このまま座して待つ訳には参りません!」
「まぁ落ち着け。私には師匠より授かりし妙薬がある。これをひと塗りするだけで、あらゆる傷がアッと言う間に塞がるのだ」
「それは真でしょうか!?」
「今用意しよう」
アクセルは腰の革袋を手に取り、封を解いた。しかしその中には、軟膏も丸薬も見当たらない。
「アクセル様? これは一体……」
「そうだった。以前シボレッタにて、使い果たしたのだ。それを忘れていた」
「気を持たせるような真似はおやめなさい!」
「いや待て。まだ香りが残されている。この芳しさ。師匠の耳裏の汗と似たものが」
「なぜ汗の臭いを精密に覚えてらっしゃる?」
「賭けになるが、1つ試してみよう。助けられるかもしれん」
アクセルは返事も聞かず、その場から離れた。そして穴を通り抜けては泉の方へ。迷う程の距離ではない。神速の動きで駆け戻った時、彼は膨張した革袋を手にしていた。
「アクセル様、それは……?」
「妙薬の袋に水を汲んできた。革に付着した薬の成分が溶けだす事で、傷薬の代用品に成り得る」
「果たして効くのでしょうか?」
「さてな。本来は致命傷すら治癒してしまう薬だ。その残りであっても、多少の効果が見込めるだろう」
ともかく治療である。ウセンを腹ばいに寝かせて患部を露わにする。やはり傷は深く、今も血は流れ続けている。
「死の淵より甦るのだ、ウセンよ!」
アクセルは袋の水を一気に呷り、傷口に吹きかけた。
「なぜ一度口に含む必要があるのです!?」
「しっかりしろウセン。愛する女の前で醜態を晒すな」
「愛するとは何の話です!? 指摘が追いつきません!」
そうして水を吹き付ける事数度、事態が変わる。ウセンが呻きつつも身動ぎをしたのだ。
「うっ……?」
「おぉ、気付いたがウセンよ」
「何だか臭い。まるで耳裏の汗を嗅がされているような……」
「お待ちなさい。なぜ揃いも揃って臭いを形容できるのです?」
問いかけに対し、アクセルは黙秘を主張するかのように答えず、ウセンも間もなく気を失った。しかし血は既に止まっており、呼吸も穏やかである。
「眠ったらしいな。やれやれ、呑気なものだ」
「そう言わないでください。彼は、ウセンはとても頑張ってくれたのですから」
カザリナは、ウセンの頭を自身の膝に乗せた。寝顔を見つめる視線は優しい。
「本当に、よく頑張ってくれたわね。私達、助かったのよ……」
それからしばらく小休止。付近から不穏な気配は消えている。アリ達が押し寄せて来る事はなく、産み付けられた卵も、今や全てが黒煙の向こう。1つとして残存する物は無かった。そうして一休み済んだ所で、アクセルは脱出を提案した。
「いつまでもモグラの真似事をしていられん。地上へ戻ろう」
「それは賛成ですが。一体どのようにして?」
この地中奥深くから、脱出する手段などあるのか。カザリナは知恵を絞ろうと懸命になるが、アクセルにとって造作もない事だった。
まずはカザリナが落下した穴へと移動する。そこからは鮮やかだ。穴の中をスイスイッと。それだけでアクセルは、一息で坑道まで登り詰めた。しかも2人を担いだままで。
とにかく化け物じみた男である。
「不思議なものだ。坑道まで来ると、懐かしさすら覚える。せいぜい半日ぶりだと言うのに」
「私には狭苦しく感じられます。一刻も早く、広々とした空を拝みたいものですね」
「急かすな。もうじき地上だ」
帰路はやはり安全だった。敵意も殺気もない、平穏そのものだ。
やがて外に出た。いまだ陽は高く、眩い陽射しが3人を照らした。カザリナは目元に手をかざしながら、鼻から大きく息を吸い込んだ。草花の濃い香りが、実に爽快である。
「あぁ、やはり外の空気は格別ですね」
続けて、アクセルに背負われたウセンも顔を起こした。
「あれ? いつの間に地上へ……」
「気がついたのね、ウセン。待ちに待った地上よ。私達は助かったの!」
「そうみたいだね。自分でも信じられないよ……。でも、またすぐに鉱山へ戻らないと」
ウセンはアクセルの背中から降りようとする。その暴挙をカザリナが慌てて押し留めた。
「止めて! せめて怪我が治るまでは大人しくなさい!」
「奥で純真石を見つけたんだよ。上手く加工すれば、装飾品のパーツになるんだ。凄くキレイなんだってさ」
「一体、それで何をしようと言うのですか」
「婚姻を間近に控えた君へ、プレゼントしたくて。純金じゃなくて申し訳ないんだけど」
「ウセン。アナタはもしや、あの日の事を……!」
彼は覚えていた。それもかなり正確に記憶していた。そして、かつて咄嗟に飛び出した言葉が、今もウセンを縛り付けている事を知る。
カザリナは居ても立っても居られず、辺りを見回した。彼女の胸は熱く焦がされている。それは、少年を長きに渡って傷つけた罪悪感か、あるいは記憶を共にしていた事に対する喜びから来るのか。真相は本人にすら分からない。ただ、不快では無かったらしい。
「ウセン。私には、これで十分よ」
カザリナは足元の花を摘んだ。名もなき野花である。それを耳元に添えると、ゆっくりと微笑んだ。
「どう、似合うかしら?」
ウセンは言葉を失い、ただ見惚れるばかりになる。カザリナのたおやかな笑みは、それ程にまで美しい。もはや「鉄面姫」と呼ばれた頃の面影は、どこにも無かった。
そして数日後。マズシーナの街はようやく落ち着きを取り戻した。大軍を迎え撃ったにしては被害は小さく、外壁や門を損傷した程度である。当面の間は修復の為、鎚を振るう音が響きそうだ。
アクセルはというと、マズシーナ郊外の草原に佇んでいる。彼は窮地を救った英雄なのだ。ミキレシアの下した刑罰が取り消されるという、特例措置が為された。既に自由の身である。傍らに寄り添うサーシャも同様だ。
「アクセル様、本当に良いんです?」
「ああ。この街にも長居したものだ。そろそろ出立する頃合いだろう」
「何だか色んなイベントだらけで、アッという間でしたね」
アクセルは、カザリナに挨拶してからと考えていた。やがて、待ち合わせたかのように、草原にカザリナが現れた。騎乗の姿で、跨るのは裸馬だった。
「ごきげんよう、アクセル様。そのお荷物は、もしや?」
「うむ。別れの時だ。世話になったな」
「アナタ様さえ良ければ、騎士団長、あるいは軍事顧問としてお迎えしたいのですが」
「断る。悪い話とは思わんが、この街では目的が達成できん。他所へ移る事に決めた」
「そうですか。気が変わりましたら、いつでもお越しください。必ずや厚遇致しましょう」
カザリナはそこで下馬した。毛並みの美しい立派な黒毛馬だ。馬と乗り手の呼吸が揃っており、動きは実に滑らかだった。
「そう言えば、偵察より報告が来ています。母ミキレシアと第一騎士団は、逃走中に火焔アリから襲撃されたそうです」
「逃走しながらとなると、難しかろう。まともに戦えるとは思えん」
「まさしく。多くの兵が脱落しただけでなく、荷車の大半も失ったとか。特に精霊石は根こそぎ奪われたようで、東の村に逃げ込んだ時には、資産のほとんどを手放す事態であったと。そのように聞いています」
「あの女王も、騎士団長も存命なのか?」
「はい。それは間違いないとの事です」
「そうか。てっきり、あの2人のどちらかが火焔女王だと思ったが、予想は外れたらしい」
「地下深くは冥府に近いのです。そのため、魔獣を育むのに適しており、火焔女王までも生み出した。そう考える方が自然かと」
「ふむ。常に人間が魔獣化するとは限らんのか」
「精霊石の採掘について、今後は考えねばなりません。アリの巣穴を掘り当ててしまったのですから。無闇やたらに富を貪る行為を、何者かに咎められ、罰を受けた。今はそんな気がしています」
アクセルはふと、正面に眼を向けた。草むらで這いつくばるウセンの姿が見えた。彼も功労者の1人として、刑罰から解放された後である。
隣に並び立つカザリナも、同じ方へ視線を注いでいた。その横顔には、慈愛が強く感じられた。
「そう言えば、母親のミキレシアとは決別したらしいな。和解するのか? それとも対立を続けるか?」
「ひとつ、婚姻に関して提案をしてみようと思います。それを飲むならば、今日明日にでもマズシーナへお戻りいただきます」
「拒絶されたら?」
「頭が冷えるまで、村に逗留してもらいます。あの贅沢三昧だった母が、貧乏暮らしに堪えられるとは思えませんが」
「随分と楽しそうだな。母をいたぶるのが愉快か?」
「そうではありません。私もようやく、自分の人生を歩みだしている事。その実感が嬉しくて堪らないのです」
間もなく、ウセンが草むらから駆け戻ってきた。緩んだ頬を晒しつつ、その手に掲げ持つのは、シロユメクサの花冠だ。
「出来たよカザリナ! 久しぶりすぎて、ちょっと歪(いびつ)だけどね」
「まぁ素敵! 早速頭に乗せて頂戴」
端々から茎の飛び出た、少しだけ不格好な冠が、そっとカザリナの頭に添えられた。見つめ合うウセンとカザリナ。そして、どちらからでもなく、はにかみながら笑みを漏らした。
その姿を眺めたアクセルは、鷹揚に頷いては歩き出した。足を向けるのは、マズシーナと反対の方角だった。
「アクセル様。どうかお達者で! またいずれマズシーナにお越しくださいませ」
「本当にありがとう、アクセルさん! 君は一番の友だちだよ!」
ささやかな声援を背に受けつつ、アクセルは街道を歩み続けた。そこへ後から追いついたサーシャが、声をかけた。少し声色が濁るのは、不満が原因である。
「もったいない事しましたよ、アクセル様。マズシーナの軍事顧問だなんて、もう貴族様みたいなもんなのに」
「あの街では嫁が見つからなかった。長居するだけ無駄だろう。真実の愛を学べただけでヨシとする」
「あんな口説き方ではね……。床に置いた花を踏んでくれだなんて、高度な変態プレイだと思われますよ。そりゃ女性陣も気味悪がって逃げますってば」
アクセルはやはり学び方を間違えた。花を踏んでもらい、後に和解する事が愛なのだと、酷く曲解してしまった。もちろん通用するハズもなく。救国の英雄という肩書を持っていても、驚くほどにモテなかった。
「まぁ構わん。外の世界は想像以上に広い。どこかに嫁と成り得る者がいるだろう」
「ちなみに、遠くに居るとは限りませんよ? もしかすると、すんごぉぉく近くに居たりして」
「次は船に乗って外海だ。南の方に島国があるそうだ」
「あの、聞いてます? 今ならもう、ありきたりのプロポーズで、お手軽にお嫁さんが手に入りますけど?」
「乗船の手形はカザリナが出してくれた。港に着けば、労せず乗れるはずだ」
「アクセル様って、たまにスゴく無視しますよね」
2人が賑やかに歩いていると、街道は分かれ道を迎えた。
「さてと。港はどちらだろう」
「看板が掠れてますね。でも方角からいって右だと思いますよ」
「なるほど。右はどっちだ?」
「そろそろ覚えて良いと思いますけど!?」
「ふむ。右はコッチだな!」
「逆ぅ!? 2択を的確に外さないで!」
こうして、前途多難な旅は再開したのである。果たしてアクセルに伴侶は見つかるのか。そしてサーシャの大っぴらな恋心は実るのか、彼らには知る由も無い。
この先には一体、何が待ち受けているのだろう。未来は不定にして不可視。一寸先すら見通せないものである。
ただ1つ確かであるのは、この旅はまだまだ終わらないという事。彼らのどこか危なっかしい足跡は、遥か彼方まで続いてゆくのである。
〜第一部 完〜
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