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8.桜
柳瀬くんの姿をふたたび目にしたのは、彼が引っ越してから、三年半くらいが過ぎた春のことだった。
すでにわたしには彼氏がいて、妄想癖も相変わらず。
彼、夕貴と二人で窓辺にいるときは、なんてことない銀色のフチが、わたしたちを高校の一室から切り離し、二人だけの世界に閉じこめてくれているような気すらしている。
そんな学校生活を送っていたある日の昼下がり。
わたしは、夕貴と手を繋いで、川辺を散歩していた。
「あっ」
ゆるやかに流れる川の向こう岸に、柳瀬くんはいた。
隣には、髪の長い女の子の姿があった。
二人で、木のベンチに並んで座り、なにやら話している。
わたしはすぐに彼だとわかった。なぜって、そのときの彼の雰囲気をよく知っていたからだ。自由を見つめる、穏やかな表情……。
「どうした?」
突然、黙り込んだからか、夕貴が顔を覗き込んでくる。
「なんでもない」
柳瀬くんは、わたしのことに気づいていない。
それで、いいと思った。
頭のなかには、彼との教室でのやりとりが浮かび上がってくる。ずっと、心のどこかにひっかかっていた、雨の日の、彼のか細い声と言葉……。
よかった。幸せそうで。本当に……。
わたしはなぜだか、むしょうに泣きたくなって、夕貴の手をぎゅっと握った。
春の風が川の表面を撫でて、桜の花びらを運んでくる。
おでこに桜がはりついてるぞ、と言って、夕貴は笑った。
わたしもつられてくすくす声を立てる。
「なんか、ご利益ありそう」
「だな。あ! 写真撮るぞ。そのまま、動くなよ」
柳瀬くん、あのね、わたしあのとき、好きだったんだ。
心のなかでひっそり告白する。
ああ、やっと、言えた。そんな風に思えて、なぜかほっとした。
「あっ! 飛んでった。せっかく写真撮ろうと思ったのにさ」
夕貴はスマホを片手にしたままそう言った。
わたしのおでこにくっついていた花びらは、川の向こう側へと踊るように流れていく。
「それは残念!」
今、隣にいるのが、柳瀬くんだったら、とは思わない。
ただ、彼が元気でいてくれた。その事実が、ずっとわたしのなかでくすぶっていた塊をそっと溶かしてくれたような気がした。
「あ、あっち、満開っぽい」
夕貴がぐいっと手をひっぱる。
わたしはそのあとに続きながら、こういうのって、青春ドラマの恋人っぽいな、と思った。
ふいに、いつの日か、妄想した「トリケラトプスの恋」という言葉を思い出す。
わたしは、ちらっと振り返り、ベンチに腰掛けている二人の姿を見た。
「ふふふ」
あのときのわたしに、伝えなきゃ。
トリケラトプスの恋は、あたたかくて、ほのぼのしていて、優しいんだよって。
まあ、柳瀬くんは、人間なんだけど。
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